19世紀は西洋列強と呼ばれる国々が世界中に急速に植民地を増やした時代でした。
カギを握ったのはイギリスからはじまった産業革命であり、ヨーロッパ諸国がそれに続きました。文明の利器で数々の国を支配下においていった時代です。
当時の日本は江戸時代。徳川政権が幕藩体制と「鎖国」をもとに国を治めていました。海外の目はもちろん日本も捉えています。当時の日本をとりまく海外情勢、とりわけイギリスとアメリカ、中国について解説していきます。
なぜペリーは日本に来たのか。これを読めば理解することができます。
結論:なぜペリーは日本に来たのか?
最初に結論です。
19世紀の世界の情勢とアメリカの日本接近は以下のようになります。
次の章から、詳しく解説していきます。
イギリスの覇権
産業革命によるイギリスの覇権
十九世紀は西洋列強が資本主義市場を獲得しようとアジアに進出した時期です。
その中でもいち早く産業革命を成し遂げたイギリスは別格でした。1840年までのイギリスは世界の工業生産の半分近くを占め、2位のアメリカに追いつかれるのは1880年になってからでした。この間、イギリスが世界の覇権を握っていました。
綿製品輸出先としてのアジア
主な輸出品は綿製品であり、1830年には輸出総額の50%、1850年にはずっと低下するがなお40%を占めていました。綿製品のうち綿布の輸出先はヨーロッパからアジアに移っていきます。ヨーロッパ諸国で産業革命が進展し綿工業が勃興したためイギリスからの輸入に頼らなくてよくなったためです。結果としてアジア市場の開拓に乗り出すことになります。
特に中国は3億の人口を誇り市場として大変魅力的でした。イギリスの中国への接近は1840年のアヘン戦争につながり、以後西洋列強の中国市場進出が進みました。このアヘン戦争は日本にも大きな衝撃をあたえます。そして中国の開港は日本への関心も増大させることに繋がりました。南京条約締結の後、イギリスの次の標的は日本だとの噂がヨーロッパで広がりましたが、中国内での外国人排斥運動やクリミア戦争の発端となるシュレスウィヒ・ホルシュタイン問題、またトルコ問題など問題が山積みで日本への関心は薄まることになりました。
アメリカの中国進出
中国市場でのアメリカの台頭
次にアメリカの様子をみていきましょう。アメリカにとっても極東市場の中核は中国であり、主要な輸出品は綿製品でした。アメリカの綿工業は当時イギリスに次いで2位で、対中国輸出額はアヘン戦争以後非常に伸びています。同時期のアメリカの対中国輸出額は、換算するとイギリスの約半分に達していました。当時の中国はイギリスとアメリカ両国の綿製品市場であり、競争状態だったのです。
中国市場に対するアメリカの勝算
特にアメリカの成長は著しく、対中国貿易はイギリスとアメリカが中心で他国の追随を許さないものでした。しかしイギリスが貿易黒字だったのに対してアメリカは大きな貿易赤字の状態でした。赤字分は主にロンドンで手形によって決済されていたため、その分がイギリスに対して赤字となっていました。しかし、アメリカには勝算がありました。イギリスが中国に輸出していたのはインド綿でしたがアメリカ綿に劣っており耐久性がなかったのです。
つまり中国に今よりも効率的な貿易ができれば黒字にできると踏んでいたのです。
カルフォルニアから中国への輸出ルート
そんな中、1848年に米墨戦争の結果としてカリフォルニアを奪取します。カリフォルニアから金鉱も発見され、西海岸側から太平洋を渡って中国へ向かう航路が計画されました。遠洋航海のため石炭の補給地が必要となり、日本が適地とみなされました。つまり、アメリカからすれば日本の開国は対中国貿易のために必要だったということになります。
アメリカの捕鯨
アメリカ捕鯨業の隆盛
アメリカが日本に目をつけた理由はもう一つあります。それは米国の捕鯨業が関係しています。
独立以前は大西洋岸のニューイングランドを根拠地に行っていましたが、独立後に太平洋に漁場に求めました。アメリカ北西海岸沖、オホーツク海、北極海に漁場を発見し進出していきました。こうして19世紀の40年代から50年代にかけて米国捕鯨業は隆盛期となりました。20年に捕鯨船は3万6千トンだったのが、44年には20万トンを超えました。日本開国時期のアメリカ捕鯨の盛り上がりがわかります。
日本への漂流船の増加
しかし捕鯨船が太平洋上で盛んに出現するようになったため、日本へ漂流する捕鯨船が問題になりました。1846年のローレンス号、1848年のラゴダ号の船員はそれぞれ択捉島、松前に漂着しました。松前藩は彼らを長崎へ護送し、彼らは崇福寺に収容され厳重な監視のもとにおかれます。ローレンス号の船員はオランダ船で返され、ラゴダ号の船員はオランダから報告を受けた東インド艦隊によって強硬的に連れ帰られました。帰国した船員たちは長崎での劣悪な環境や厳しい監視などを報告し、日本への批判は高まっていきます。この事も日本開国計画に拍車をかけます。
こうして中国の綿製品市場を狙う太平洋横断の補給地として、そして隆盛を誇ったアメリカ捕鯨業と漂流民の安全確保としてアメリカは日本に通商を求めたのです。
まとめ
冒頭でも表した通り、まとめると以下のようになります。
①イギリスの産業革命・それに続く列強の産業革命
②綿製品市場を求めて列強(主にイギリス)アジアへ進出
③アヘン戦争により中国が列強のマーケットに
④中国進出への中継点としてアメリカは日本をターゲットに
また、捕鯨業の補給地としても日本と交易を結びたい
⑤アメリカ大統領の国書を持ちペリーが日本に来航
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