核兵器がもたらした世界平和~人類史からみた戦争~

ひとりごと

核兵器の登場は人類史に大変大きな影響を与えた。

核兵器と聞くと怖くて恐ろしいもので、できれば聞きたくない言葉だと思う人が多いだろう。しかし、核兵器の登場が人類にもたらした恩恵は大変大きいものだ。

私たちは核兵器のおかげで今の平和な生活が送れているのかもしれないからだ。

 

 

 

1章 人類史という戦争史

核兵器と戦争というと、第二次世界大戦が真っ先に思い浮かぶかもしれない。世界で初めて核兵器が開発され、されに実際に使用された戦争だからだ。

しかし、戦争と核兵器を述べる上でまず先史時代からみていく必要がある。

先史時代とは文字が使われていない時代のことで、史料を読み解いて当時を考察することが難しい時代だ。しかし、遺跡や出土した人骨や埋葬品などから当時の生活の様子を考察することができる。

 

イラクのシャニダール洞窟に葬られた男性ネアンデルタール人は、5万年前に槍で傷を受けて死んだ人だった。殺人か事故かは分からないが、人が人を殺した最古の証拠である(Wikipediaより)

 

12,000 – 10,000年前頃のナイル川上流にあるジュベル=サババ177遺跡は墓地遺跡であるが、幼児から老人までの58体の遺体が埋葬されている。これらのうちの24体の頭・胸・背・腹のそばに116個もの石器が残っていた。また骨に突き刺さった状況の石器も多い。この遺跡は農耕社会出現前の食料採集民の戦争の確実な例とされている(Wikipediaより)

 

これは人類が農耕を始める前、すなわち狩猟採集民だったころの話だ。帝国や国、大規模なコミュニティが誕生するのは農耕以降であるため、この時代は少数のコミュニティで生活していた時代だ。

毎日その日の食料にありつくために必死になっていた時代でさえ人類同士の対立はあったということになる。この対立の原因の多くは縄張り争いであったと考えらえる。彼らは農耕社会でないため定住せず食料を求め移動を続けた。そのため狩場が重なった際に争ったものとされる。まるでライオンやサルの群れと同じ争いをしていたように思える。

 

時が経ち、約1万2000年前、農業革命がおこり人類の定住がはじまった。

農耕社会と狩猟詩集社会の違いはこの定住化に集約される。ある地域で稲と家畜を育てていれば生きていけるため動き回る必要がなくなった。そして人口が爆発的に増加した。母親は安全な場所で子育てに集中できるようになったからだ。

人口が増えていったコミュニティはやがて国や帝国の姿を形成していった。古代シュメール王国や古代ローマ、中国の始皇帝の国などである。その過程では数々の戦争があった。この時代の戦争は、もはや縄張り争いではなく自国の利益のためによるところが大きかった。大きなコミュニティのほうが収穫量が多く安定する上、兵隊の人員を増やせるため安全な社会を形成できた。

古代ローマのユリウスカエサル、マケドニアのアレキサンダー大王、スパルタクスなど、戦争の英雄として今でも名を残している英雄がいる。彼らの存在は紛れもなく戦争があったことを証明する。

農耕社会になり人類の戦争はいたるところで起こり、それに伴いコミュニティは大きく、強くなっていった。

 

 

 

2章 戦争の宿命を背負った人類

農耕社会から都市国家へと移ったあとも戦争は終わる気配を見せないどころか、兵器の進化により以前よりも残酷なものになっていった。

中世ヨーロッパではイギリス対フランスの百年戦争やキリスト教対イスラム教の十字軍などが有名だ。日本においても戦争の宿命からは逃れられなかった。大和王朝が成立し、日本というまとまりのあるコミュニティができた後も人々は殺し合った。天皇の後任を決める際には必ずと言っていいほど殺し合いが行われた。貴族が台頭した平安時代で平和が訪れたが、すぐ後には武士の台頭により戦火に時代の幕開けが待ち構える。戦国時代以降は日本では国内で戦争をしまくった。

近世になるとヨーロッパではナポレオンが登場しヨーロッパを戦争の地と変えたし、イギリス人はアメリカ大陸に上陸し原住民を皆殺しにした。滅ぼされたインカ帝国などはイギリス人に成すすべもなかった。また、イギリスやオランダはアジアにも進出し始めインドなどを植民地化した。

日本では徳川幕府と明治新政府の熾烈な戦いが起こり数多くの人間が死んだ。そして近代が始まり、日本は外国との戦いに突き進むことになる。

ここまでくると、もはや戦いの様相は農耕社会のものとはまったく違うものとなっている。かつては石器だったものが刀や火薬になり、鉄砲と大砲に形を変えた。いとも簡単に人間は人間を殺せるようになった。

 

近代は二つの世界大戦を経験した時代だ。

日本も海外の地で戦争を経験することになる。はじめは日清戦争で清国と戦った。清はその前にアヘン戦争でイギリスにこてんぱんにされている。さらに日本と戦争を重ねたのだ。日本は勝利し清の土地の一部をゲットした。戦争で勝つと自国に利益が出ることを身をもって体験してしまう。次は大国ロシアとも戦争をした。辛勝だったがロシアに勝ったとして国際的な発言力が強まった。他国を戦争で負かすことがこの時代で生き延びる道だったのだ。

そして起こった第一次、第二次世界大戦。

これまでとの違いはそのスケールだ。複数国VS複数国となったこの戦いは世界中を舞台に行われた。そして、参加国は国家総力戦となった。国をあげて全国民の力を戦争に向けたのだ。この時代に生まれていたならば、自分は戦争をするために生まれてきたのだと自覚するだろう。

そして、第二次世界大戦。人類がこれまで見たこともない兵器が登場した。

そう、核兵器だ。

 

 

 

3章 平和をもたらした殺戮兵器

これまで見てきたように、人類は先史時代から戦争を続けてきた。常に戦争が起こるかもしれないという状況で生きてきた。

しかし、現在そのような考えで生活している人は世界に何人いるだろうか?もちろん、いまでも紛争やテロに悩まされている地域はある。パレスチナ問題はとても複雑な状況にある。

だが、自信をもって言えることは、地球上で戦争の心配をせずに生活している人の数は人類史上、今が一番多いということだ。

あなたは明日、中国と戦争が起こるかもしれないと怯えながら生活しているだろうか?ロシアから攻め込まれると感じながら生きているだろうか?もしくは、戦争なんてまったく考えず、明日の仕事の事や次の遊びの予定を考えているかもしれない。

今、地球上から戦争が姿を消そうとしている。それは何故か?

一番最近の一番大きな戦争は何だったか。それは第二次世界大戦だ。核兵器が登場した戦争だ。

アメリカ合衆国でレオ・シラードの提案により始まったマンハッタン計画により原子爆弾が完成した。実は当時核兵器の開発は世界各国でなされていた。実は大戦中、日本でも開発が進められていた。この原子爆弾が日本に二発落とされた。その後まもなく日本は降伏し世界大戦は終結した。

その後もベトナム戦争や朝鮮戦争などが起こったが、それもピタリと止まった。核保有国が増えたのだ。

今や、戦争をはじめた国は核兵器によって一瞬で消されてしまう。戦争はもはや一種の集団自殺いや民族集団自殺と同じものとなってしまった。もう誰も戦争を起こせない。起こせるのはテロリズムくらいになった。

 

核の抑止力によって人類と戦争の縁は断ち切られた。

これは人類史において奇跡と呼んでいいことだ。人類は誕生した時から戦争続きだった。戦争が激化した農業革命が約1万2000年前。核兵器は1万2000年の負の宿命を取り去ったのだ。

ノーベル平和賞はレイシラード一人が受賞すべきだと言う学者もいるが、核と平和を結び付けることは可能だ。

レイ・シラード(1898-1964)

 

 

終章 無限の平和

この平和な世界にも一つの不安がある。それは、この平和が一時的なものだということだ。

戦争の歴史は戦争と平和を繰り返してきた。戦争と戦争の間にはひとときの平和が存在してきた。私たちの今の平和は次の戦争の準備期間なのではないか?

たしかにその可能性は捨てきれない。しかし、次の戦争は私たちが知っている戦争の様相ではない。私たちが連想する血なまぐさい戦争は核兵器の登場により消滅する。そこは安心してもらいたい。

次の戦争が何年後か、何百年後、はたまた何千年後かはわからないが、その戦争はサイバー戦争、宇宙戦争、もしくは私たちが知らない次元の戦争である可能性が高い。そして同じように考えられることは、その戦争を起こしているのは私たち人類ではない可能性が高い。それはサイボーグ化により無限の生命を得た存在かもしれないし、高知能AIかもしれないし、地球外生命体かもしれない。

そういった不安はあるが、そういった戦争は人類が滅亡した後だろう。私たちは人類史において無限の平和を獲得した。

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