悪口や愚痴ばかり言ってないですか?仏教からことばを学ぶ

心の持ち方によって、人々の世界の意味は違う。花をみて美しいと思うか、肉を食べておいしいと思うか、景色をみて綺麗と思うか、心のもちかたによって人それぞれである。

しかし。心以上に人の世界を変えるものがある。それは行為である。あなたがした行為は心よりも強くあなたの世界を作り上げ、あなたの世界に影響を与える。

 

行為によって農夫となるのである。行為によって職人となるのである。行為によって商人となるのである。行為によって傭い人となるのである。行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者となり、行為によって王ともなる。

世の中は行為のよって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。-進み行く車がくさびに結ばれているように。     ブッダ

 

ブッダのこの言葉は、行為が人そのものを形成すると説く。

行為をなすことで、その人は農夫だ職人だと認められ、そして自覚することになる。これは自分が農夫だ職人だと心で思っている以上に影響力がある。

その行為には言葉も含まれているとブッダは言う。

口から発せられる言葉がいかに大きな行為であるか、次のように述べている。

 

人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を切り裂くのである。そしるべき人を誉め、また誉むるべき人をそしる者、かれは口によって禍をかさね、その禍のゆえに裕楽を受けることができない。

 

 

『聖書』のなかでイエス=キリストも似たようなことを言っている。

 

口は心に満ちたものを語る。人は自分の言葉によって義とされ、また自分の言葉によって罪とされる。

良い人はその人の良い倉から良いものをだし、悪い人は悪い倉から悪いものをだします。なぜならば人の口は、心に満ちているものを話すからです。

 

人の口は心に満ちているものを話す。

「口は禍のもと」ということわざがあるが、口は単に心で思っていることを話しているにすぎないのかもしれない。すなわち、口が禍をもたらす人は、心が邪念で支配されているだけなのだ。

邪念(煩悩)を取り払うのは仏教では「縁起」と「空」を理解して悟りを開いた者にしかできないとされる。それはまた別の記事で話すこととするが、なんだか難しくてめんどくさそうだなと思う人の方が多いだろう。

悟りを開かずとも、言葉を発する際に注意することはできる。少しがんばれば今よりも心を清らかなものにすることができる。つまり、悪い言葉ではなく良い言葉を話す人になることはできる。

愚痴とは口から出る毒である。第三者の欠点や不道徳を強調しても、聴く人はそれを話す人を嫌う。心理学では、親が子どもを叱るのではなく怒るのであれば子どもの心に深い傷を与えると結論が出ている。同様に一般の対人関係においても言葉は行為と同じ重みをもって作用する。

言葉と行為が人間を決定づけている。

それについてブッダはこう続ける。

 

最上の善いことばを語れ、これが第一である。正しい理を語れ、理に反することを語るな、これが第二である。好ましいことばを語れ、好ましからぬことばを語るな、これが第三である。真実を語れ、偽りを語るな、これが第四る。自分を苦しめず、また他人を害しない言葉のみを語れ。

 

言葉に注意すればあなたの行為は変わり、心も変わる。善いことばを語ればよい心をもつが、悪いことばを語れば悪い心をもつ。言葉は人を変える力がある。

世の中は実に不公平で愚痴も言いたくなるし、誰かを批判したくなる。しかし、それらをことばにしていた昨日の自分から、善いことばを話そうとする自分へと意識変われば、あなたの心は美しいものになる。

そうなれば今まで見えていた世界が違ったふうに見えてくるはずだ。そして、周りのあなたを見る目も、もちろん違ったものになる。

言葉は人の心そのものである。

 

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この記事を書いた人

文系で日本史専攻→システムエンジニア
情報処理安全確保支援士・AWSSAP
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