世界平和は、実現不可能な危険思想だ。

世界平和になればよい。

誰もが思う願望だろう。世界平和が現実のものとなれば、この世界はなんとも素晴らしいものになるだろう。

まさに、ユートピアと呼べるものが訪れるのかもしれない。

しかし、私は言いたい。

世界平和なんてものは空想上のものに過ぎない。こういった軽はずみな発言をする人は世界の構造について何一つわかっていないと言わざるをえない。

 

 

 

 

世界平和というものが何故空想上のものであるか。それは日本人の私たちには少しわかりずらい部分があるのは事実だ。

それは宗教の問題が絡んでくるからである。

あなたの宗派は何ですか?と聞かれて答えられる日本人は少ない。無宗派という人が多いからだ。

しかし、世界は無宗派の割合の方が少ない。

世界中の人々は何かしら信ずる宗教がある。

一番多い宗教はキリスト教で、約23億人がキリスト教徒である。世界の約三分の一がキリスト教徒ということになる。

そして、三大宗教のイスラム教、ヒンズー教が続く。

 

 

 

 

 

宗教があるのは知っているよ。という人が多いと思うが、これが何故複雑な問題になるかは理解しにくいのではないか。

例えば、キリスト教とイスラム教、ユダヤ教はどれも一神教、つまりたった一つの神を信ずる宗教である。八百万の神がいる日本とはまるで違う。

それらの聖地とされる場所が全てエルサレムに集まっている。しかも、三者それぞれたった一つの神が異なっている。

ここから、お前らは違うおれたちは正しいといった考えになり争いが起こる。事実、歴史上何度もこの宗教的価値観の違いから争いや虐殺が繰り返し行われてきた。

今でもパレスチナ問題やISなど、宗教問題があり世界平和とはほど遠い世界である。

 

 

 

 

 

また、長らく外国の軍政下にあったミャンマーは、アウン・サン・スーチー氏を中心として民主化を成功させた。この運動でスー・チー氏はノーベル平和賞を受賞した。

しかし、そのミャンマーでロヒンギャと呼ばれる集団に対して虐殺、人権侵害があったとされる。

民主化を達成した政権下で行われただけに反響は大きかった。

その理由の一つにも宗教の問題がある。

仏教徒が多いミャンマーの中で、ロヒンギャはイスラム教を信奉している。

 

 

 

 

これらは宗教の視点からみての世界平和を唱えることの非現実性である。

 

 

 

 

もう一つ、紛争についても言及しておく。

南スーダンやシリアなど、紛争問題は後を絶たない。

これらは政権派と反対派による対立が原因であるが、その背景には貧富の差など発展途上国が持つ問題がある。

シリア内戦に関して言えば、独裁政権とされるアサド政権と反政府軍との戦いが行われているが、ロシアがアサド政権を、米欧やサウジアラビアが反体制派を支援している。つまり、ロシアとアメリカヨーロッパという大国同士の小競り合いの様相を呈しているのだ。

このように紛争は国内のみの問題ではなく複数の国家が関係する複雑な問題となっている。それには各国の利益など汚い部分も多分に含まれている。

日本も他人事ではなく、南スーダン内戦ではPKO法によって自衛隊が派遣されている。

 

 

 

 

 

 

世界平和は知識のない人が好んで使う言葉だ。

世界平和になればいいのにね、と言っている人はおそらく何が問題で争いが起こっているのか理解していないのだろう。

それこそAIやロボットが完全統治する世界になれば可能なのかもしれないが、、、

 

 

 

 

歴史をみてみると、今は世界平和と言っていいくらいに平和である。

過去は本当にとんでもない理由で殺し合いをしていた。しかし今は国際的な法律なども決められて秩序ができている。歴史をみれば、今が一番平和に近い。

その今でさえ、上記のような争いが日常的に起こっている。

最近では宗教を信ずる人が世界的に少なくなってきている。また、信奉していても、それは形式上であって論理的思考で生きている人が増えている。これは科学とテクノロジーの発展によるところが大きい。

こうした世の中になってきているため、宗教対立はこの先なくなるかもしれない。

そして紛争問題も各国が発展し先進国に名を連ねれば、もしかしたら、なくなる「かも」しれない。

しかし、学校内や会社内でもめ事があるように、世界にももめ事はある。学校や会社などという小さなコミュニティでさえ平和でないのに、いかにして世界平和などが訪れようか。

私は、世界平和を叫ぶ人々は一種の危険思想だと思う。

 

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