薩長同盟といえば幕末史の最終章の幕開けだ。ここから薩長と幕府という対立関係が顕著になってくる。
しかしそこには謎の部分が多い。
今回取りあげるのは、なぜ、下級武士の坂本龍馬が薩長同盟を仲介できたのか。
そこには強大な力が働いていた。
当時、長州は危機に陥っていた。
下関戦争、禁門の変、池田屋事件などが立て続けに起こり、藩はガタガタの状況であった。しかも禁門の変により朝敵となってしまい、いつ幕府から攻められてもおかしくなかった。このままでは長州藩の存亡にかかわる。
そこで亀山社中を率いていた坂本龍馬と中岡慎太郎の仲介により長州側と薩摩側を結び付けたとされている。薩摩は西郷や大久保など強硬派の台頭があったことが要因とされている。
ちなみに、当時長州と薩摩とは仲が悪かったとされるのが定番だが、裏ではグラバーを中心に強力関係にあった人物たちも少なからず存在していた。
薩長同盟の全貌
場所は京都薩摩藩邸。後見人は坂本龍馬。
薩摩側は家老、桂久武、大久保利通、西郷隆盛、小松帯刀といった上層部が一同に集まった。それに対して長州藩の出席者は桂小五郎ただ一人だったという。薩長同盟とは呼ぶものの、お互い文書を交わしたわけではなく、すべては口頭での約束事であった。
内容は、幕府による長州藩処分問題に関して、長州藩の状況が悪くなっても薩摩藩は長州藩を支援するという内容であり、この密約に基づいて薩摩藩は幕府による第二次長州征討に際し出兵を拒否し、以後薩長の連携関係は深まっていくこととなった。
この会議はスムーズにはいかなかった。桂は京都に入って10日以上も過ごすが、いっこうに政治の話が始まらない。事態は立ちすくんだままでいら立つ桂。そこへ颯爽と龍馬が現れ、西郷たちを説得し「薩長同盟」という流れになる。
この説自体いろいろあり、本当は龍馬はおくれてきたため肝心の話し合いには加わらなかったという意見もある。そこには龍馬のような下級武士をなぜこの場に入れなければならないのか、という単純な疑問も含んでいる。
しかし、龍馬がこの同盟にしっかりと関わっていたことは事実だろう。
それは次の理由である。
桂が龍馬にしたためた手紙
桂は、西郷たちとの話し合いの結果、約束したものを箇条書きにまとめ、内容に相違があれば正して欲しいと龍馬に頼っている。
桂は必死だった。なぜなら、薩長同盟というのは対等ではなかったからだ。幕府に長州が攻められたときには薩摩は助けに来る、というのは基本は一方的な長州救済型の同盟だからだ。もし約束が破られれば長州は滅びる。その重大な約束事は口頭ときたからだ。
そこで龍馬は両藩の合意文書に朱を入れ、裏書きの署名で答えている。
表に御記し成され候六条は、小(小松帯刀)、西(西郷隆盛)、両氏および老兄(桂小五郎)、龍(龍馬)等も御同席にて談論せし所にて、すこしも相違無く候。後来といえども決して変わり候事これ無くは、神明の知る所に御座候。
二月五日
しっかり見届けたと龍馬は答えている。
桂が龍馬に同盟の箇条書きのチェックを頼み、龍馬がこう答えていることからも龍馬が薩長同盟の後見人として存在していたことは確かであろう。
なぜ龍馬が後見人となれたのか?
問題はここだ。
なぜ脱藩した下級武士である龍馬が、薩長の仲介などできたのだろうか。
本来なら座敷にさえ上がらせてもらえない郷士の身分である。その龍馬が77万石という大藩の薩摩と37万石の有力藩長州の仲立ちというのだから、驚きの大抜擢である。龍馬にいったいどれほどの力があったのだろうか。
そしてもう一つ謎なのが集まった薩摩の面々だ。薩摩の政治を担う大御所揃いだ。それに対して桂は格下である。しかも桂はお願いをする側である。薩摩からしたら会合そのものが失礼にあたるのものだ。
薩摩が動くとなると、薩摩が言うことを聞く筋からの呼びかけがあったとみるとのが普通だ。
この時期、薩摩を動かせるほどの人物はトーマスグラバーだ。
その筋の呼びかけがあり、初めて小松・西郷・大久保クラスの武士が揃った。彼らはしぶしぶだっただろう。できれば、こんな一方的な、間尺に合わない救済同盟などごめんである。
しかし、グラバーを怒らせるわけにはいかなかった。薩英戦争の後、薩摩は英国と近しくなった。その中でも、武器の輸入は全てグラバーが取り仕切っていた。武器の輸入が途絶え、英国との結びつきがなくなるのだけは避けたかったのだ。
そして、グラバーの筋の呼びかけこそ、龍馬に他ならない。龍馬はグラバーから武器を買い入れ、薩摩や長州へ武器を提供する亀山社中のリーダーだ。亀山社中以前からグラバーとは面識がある仲だ。グラバーの息のかかった一人だったのだ。
龍馬が亀山社中で行った商社事業はグラバーなくしては成り立たないものだった。そして、亀山社中、のちの海援隊から薩長は武器を仕入れる。この構図が幕末の動乱を生んでいくのである。
グラバーと明治維新については以下の記事参照。
コメント