何も当てにできない世知辛い世界で生きるコツ

世知辛い世の中である。

世間は冷たく息苦しい。

頑張っても認めてもらえない時もあれば悩みや重圧で押しつぶされそうな時もある。

世の中の理不尽さにぶち当たったときは、仏教の教えを知ると心が安らぐ。

今回は仏教的思想を持っていた兼好法師の徒然草からおすすめの一節を引用する。

 

 

 

 

 

 

すべてのことは当てにしてはならない。愚かな人は、深くものを当てにするために、人を恨んだり怒ったりすることがあるのだ。

権勢があっても当てにできない。強い者は真っ先に滅ぶ。財産が多くても頼みにできない。時の間に失いやすい。才能があっても頼みにできない。孔子でも時運に合わなかった。徳があっても当てにはできない。顔回でも不幸だった。主君の寵愛をも頼みにできない。早々に誅罰を受ける。下僕が従っていても当てにはできない。背いて逃げる。人の厚意も当てにはできない。必ず変わる。約束をも頼みにはできない。信義あることは少ない。

自分をも人をも当てにしなければ、うまくいったときは喜び、だめなときは恨まずにすむ。心の左右が広ければ妨げがなく、前後が遠ければいっぱいに塞がらない。狭いときはひしゃげて砕ける。心配りが少なくて人に厳格な時は人に逆らい、争って傷つく。寛容で柔軟なときは、一本の毛も損なうことがない。(第二一一段)

 

 

 

どんなものをも当てにするなという教えである。

悲観的な人間だなと思うかも知れないが、この一節は真理をついていると思う。

盛者必衰の世の中において、当てにするべきものは一つとしてない。たとえそれが自分自身であっても。

何事も当てにせず、何事が起こっても対応できる広い心をもつことが大切だといっている。心が狭いとひしゃげて砕けてしまう、と。このような経験をした人は多いのではないだろうか。特に、当てにしていたものが予想外の結末になると心が押しつぶされそうになったりする。

何事も当てにせず、頼みにせず、広い心をもち柔軟に生きることこそが、うまく世を渡っていくテクニックなのかもしれない。

それは決して世の中を悲観するわけではなく、世の中は常に変化するものだから、何が起こっても何も不思議ではないという人生観をもつことである。

 

 

 

 

 

 

兼好法師は深くものを当てにする人を「愚かな人」とまで言っている。

盛者必衰であり、諸行無常が世の中であると理解していた兼好にとって、何かを当てにするという行為は恥ずべき行為だとみなしていたのかもしれない。

この考えは、キリスト教徒やイスラム教徒など、一つの神を信じる国では到底受け入れられるものではない。日本人だからこそ至った達観の極地なのかもしれない。

人間関係や金銭トラブルで悩んでいる人は、もう少し心にゆとりを持たせてみるといい。ゆとりとは一種の諦めに似ている。どうせ何事も信じられないし。といった感覚と似ているのだ。

本質は少しずれているが、初めはこういった心を持つことから始めてもいいと思う。世の中のものなんて信じられないというのは真理なのだから。

それから時間を経て、一種の悟りのようなものに気付ければ良いと思う。

 

 

 

 

 

 

世知辛い世の中、世間は冷たいと思う事自体が、もしかしたら世の中に対してなにか期待しているところがあるという事なのかもしれない。

考え方ひとつ変えるだけであなたの人生はまるで違ったものになる。

何もこの兼好法師の考え方で生きろとは言わない。が、今あなたがもっている人生観はもしかしたらあなたを生き辛くさせているかもしれない。

一度人生を達観してみることもいいのかもしれない。

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この記事を書いた人

文系で日本史専攻→システムエンジニア
情報処理安全確保支援士・AWSSAP
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