社会は優しくない。
社会は冷たい。
法律やルール、規則はたまた暗黙の了解などに従って生きなければならない。
それができない奴はダメな奴だ。使えない。出世ルートから外れる。
若いくせに、後輩のくせに、意見するなんて常識がなってない奴だ。気に入らない。
年を重ねるごとに人間は驕り高ぶる。この堅苦しい社会の常識に疑問を抱いていた人たちも自分が上司の立場となると同じ事を部下に言っている始末。
あんたらが若いころ思ってたことはどうしたよ?
言いたいことも言えないこんな世の中を変えたい。
サラリーマンという言葉が世に現れてから少し経つ。
現代を生きているとサラリーマンとして働くことが当たり前のように思われるかもしれないが、サラリーマンという言葉自体は大正時代にできたものである。近い過去だ。
もちろんそれ以前にもいわゆる給料のような形でお金を稼いで生きている人たちは多くいた。
しかし、最近のこのサリーマン=社会人が中心の世界は、冒頭で書いたように言いたいことも言えない世の中になっていると感じる。
もちろん、過去の人々は言いたい事を好きにいって生きていたなんてことは言わない。
いつの世も息苦しいものであったことは事実である。
紀元前に生きたブッダも「人生とは苦しみである」と言ったように。
たしかに人生は苦しい。生まれながらに不平等だ。
しかし問題なのはそこじゃない。人類史をみてもどの時代も不平等だった。
しかし、どの時代にも息苦しい社会の常識に対して異議を唱える人物が出てきた。
そしてそれに共鳴して人々は動き出し時代は変わっていった。
特に顕著なのは日本の江戸幕末から明治初期の日本人だ。
彼らは全国各地で国の在り方を憂いて次々と立ち上がった。「正義」の幕府や政府に対して異議を立てて立ち向かい命を落とした人は数えきれない。しかしおそらくあなたはその人たちの名前を知らないだろう。勝てば官軍の世の中、彼らはただの反逆者に過ぎない人とみなされた。その思想がどんなに優れていても。
靖国神社をご存知かと思う。
日本のために殉死していった英雄たちを祀る場所だ。
いや、言い間違えたので言い直そう。
「政府からみて」日本のために殉死していった「政府からみて」英雄たちを祀る場所だ。
いつの世も「正義」は存在する。間違えないで欲しいのが、正義とは正しく潔白という意味ではない。ここでいう「正義」は時の権力者である。時の権力者が正しく潔白であるはずはない。
幕末に生きた会津藩士らは日本のために殉死した人たちである。しかし彼らは時の権力者の薩摩長州と戦争したため賊軍扱いに終わった。「正義」や靖国神社、ましてや教科書にのる英雄なんて人たちは当てにしてはいけない。
大事な事実は、「正義」に立ち向かった人たちの存在を知ることだ。
彼らは失敗すれば命が亡くなることはもちろん、家族や親族にも影響が出ることを承知で行動したのだ。そして周りは彼らを応援した。彼らには「正義」を変えて実現させたいものがあった。
今、言いたいことも言えないこの世の中が息苦しいと思っているあなたはどうか。
どのような世の中、小さい所でいえばどのような職場や社会を求めているのか。
それをクビになる覚悟で声を上げて社長や上司という「正義」に立ち向かってみれば、あなたの周りには同じ意見の同志が現れるのではないか?
結果がどうあれなにも悲しむ必要はない。「正義」はすぐに違う人になるから。そして、現代は江戸や明治と違って稼ぐ道はいくらでもあるのだから。
歴史を知ると世の中がわかる。
経験から学ぶ者は愚者であり歴史から学ぶ者は賢者である。
という言葉がある。
歴史を知り、世の中を知った人たちが、「正義」に向かい立ち上がっていく志を持つと私は思う。
現代人は歴史や政治に全く興味がなくなってきている。知識も必然的に全く身についていない。
この現状では誰も立ち上がりようがない。何も知らないのだから。「正義」を正義だと思っているのだから。
言いたいことも言えないこの世の中を変えるには、「正義」に異議をとなえる人々が必要なのだ。
今これを読んでいるあなたは今の日本・世界の「正義」をどう思うか?
現代の重大な問題は義務教育にあると私は思う。
「正義」を正義として丸暗記する教育ははやく変えないといけない。
そんな教育をしていては歴史や政治に興味を持たなくなって当然だ。その二つの大切な分野は丸暗記の分野として教育させられているからだ。
しかし私たちはもうその教育で育ってしまった。
これを読んだあなたには目を覚ましてもらいたい。そして、あなたの周りの人たちも巻き込んで目を覚まさせていこう。
言いたいことも言えないのではない、言いたいことが現代人はわからなくなっている。何が問題でどういう歴史でそうなったのかを知らないから。
それを知り、自分の考えを持った人が多くなれば、この時代は変わることができるだろう。
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