名言「言志四録」~リーダーとは何か~ 言志耋録その3

リーダーのための聖書(バイブル)『言志四録』より格言を厳選して紹介する。

『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録』から構成される『言志四録』は、著者・佐藤一斎の書いた年代によって分けられている。

今回は一斎が最晩年に書いた『言志耋録』より抜粋する。

あなたの心に残る言葉がみつかれば幸いである。

 

 

 

必ずしも福を干めず。禍無きを以て福と為す。必ずしも栄を希わず。辱無きを以て栄と為す。必ずしも寿を祈らず。夭せざるを以て寿と為す。必ずしも富を求めず。餒えざるを以て富と為す。(第154条)

訳:

必ずしも幸福を求めることはない。禍さえ無ければ、それで幸せではないか。必ずしも栄誉を願うこともない。恥をかかなければ、それが栄誉なのだから。必ずしも長生きを祈らなくてもよい。若死にさえしなければ、それが長生きなのである。必ずしも金持ちにならなくてもよい。飢えなければ、それで十分富者である。

 

 

 

 

 

 

 

世を渡るの道は、得失の二字に在り。得可からざるを得ること勿れ。失う可からざるを失うこと勿れ。此くの如きのみ。(第124条)

訳:

世間を渡る道は「得」と「失」の二字にある。得てはならないものを得ないようにし。失ってはならないものを失わないようにすることである。これが処世の基本である。

 

 

 

 

 

 

口舌を以て諭す者は、人従うことを肯ぜず。躬行を以て率いる者は、人効うて之れに従う。道徳を以て化する者は、則ち人自然に服従して痕跡を見ず。(第125条)

訳:

口先だけで人を諭そうとしても、人は心から従うことはできない。みずから実践し率先すれば人はついてくる。さらに道徳をもって感化する者には、人は自然と服従し、不満も残らない。

 

 

 

 

 

 

利を人に譲りて、害を己れに受くるは、是れ譲なり。美を人に推して、醜を己れに取るは、是れ謙なり。謙の反を驕と為し、譲の反を争と為す。驕争は是れ身を亡ぼすの始なり。戒めざる可けんや。(第127条)

訳:

利益を人に譲って、損害を自分で引き受けるのが「譲」である。よいことを人に推し譲り、悪いことは自分で受けるのが「謙」である。これとは反対に、よいほうを自分で取り、悪いほうを人に押し付けるのを「驕」という。また譲の反対で、利益を自分が取り、損益を相手に与えるのを「争」という。この驕争は身を滅ぼすもととなるので戒めなければならない。

 

 

 

 

 

「君子は入るとして自得せざる無し。」怏怏として楽まずの字、唯だ功利の人之れを著く。(第136条)

訳:

『中庸』に「立派な人物はどこにいても、どんな地位にいても、不平を抱かず、それぞれの地位に応じて、なすべきことをやり、決してあくせくしない」とある。満足していなかったり、楽しんでいないということは、功名や利益をむさぼる心をもっていることである。

 

 

 

 

 

 

怠惰の冬日は、何ぞ其の長きや。勉強の夏日は、何ぞ其の短きや。長短は我れに在りて、日に在らず。待つ有るの一年は、何ぞ其の久しきや。待たざるの一年は、何ぞ其の速かなるや。久速は心に在りて、年に在らず。(第139条)

訳:

怠けていると、短い冬の一日でも、なんとまあ長いことか。一生懸命働いていると、長い夏の一日でも、なんとまあ短いことか。要するに、一日の長短は自分の主観にあるのであって、日そのものにあるのではない。同じように、何かを待っている一年は、とてもゆっくり感じるし、何も期待していない一年は、あっという間に過ぎていく。この場合の早い遅いも心の持ちようであって、年月にあるのではない。

 

 

 

 

 

 

朝にして食わざれば、則ち昼にして饑え、少にして学ばざれば、則ち壮にして惑う。饑うる者は猶お忍ぶ可し。惑う者は奈何ともす可からず。(第140条)

訳:

朝ごはんを食べていないと、昼にお腹が空くように、少年時代に勉強していないと、壮年になってから、物事の的確な判断がつかなくなる。空腹であることはまだ我慢もできるが、大人になってから事の判断に迷うようでは話にならない。

 

 

 

 

 

 

今日の貧賤に、素行する能わずんば、乃ち他日の富貴に必ず驕泰せん。今日の富貴に、素行する能わずんば、乃ち他日の患難に必ず狼狽せん。(第141条)

訳:

いま貧乏生活にあって、その境遇に安住できる修養がなければ、いつかお金持ちになって場合には、必ずおごり高ぶるであろう。また、いまお金持ちの境遇にあって、それに安住できる修養がなければ、将来、お金に困ったときには、必ずあわてふためくだろう。

 

 

 

 

 

 

凡そ物満つれば則ち覆るは、天道なり。満を持するの工夫を忘るること勿れ。満を持すとは、其の分を守るを謂い、分を守るとは、身の出処と己れの才徳とを斥すなり。(第149条)

訳:

何事も一杯になると覆るのは自然の成り行きである。どうすれば、満ちた状態を持続できるかの工夫を忘れてはならない。満ちた状態を持続するとは、自分の本分を守るということであり、本分を守るとは自分の身の振り方と才能と徳を考えて、分を超えないようにすることである。

 

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この記事を書いた人

文系で日本史専攻→システムエンジニア
情報処理安全確保支援士・AWSSAP
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