名言「言志四録」~リーダーとは何か~ 言志後録その2

名言

リーダーのための聖書(バイブル)『言志四録』から心に残る確言を厳選した。

今回は『言志四録』の中の『言志後録』から抜粋した。

どれも心に刺さる言葉なので、落ち着いた心で読んで欲しい。

座右の銘が見つかれば幸いである。

 

 

 

 

志気は鋭からんことを欲し、操履は端しからんことを欲し、品望は高からんことを欲し、識量は豁豁からんことを欲し、造詣は深からんことを欲し、見解は実ならんことを欲す。(第55条)

訳:

人間の生きる姿勢として、心の勢いは鋭くありたいし、行動はきちんと整っていたい。品位や人望は高くありたいし、見識、度量は広いほうが望ましい。学問、技芸は深くありたいし、物事に対する見方や解釈は真実でありたいものだ。

 

 

 

 

 

晦に処る者は能く顕を見、顕に拠る者は晦を見ず。(第64条)

訳:

暗いところにいる者は、明るいところをよく見ることができるが、明るいところにいる者は、暗いところを見ることはできない。

 

 

 

 

 

 

誘掖して之を導くは、教えの常なり。警戒して之を諭すは、教えの時なり。躬行して以て之を率いるは、教の本なり。言わずして之を化するは、教の神なり。抑えて之を揚げ、激して之を進むるは、教の権にして変なるなり。教も亦術多し。(第12条)

訳:

子弟のそばにいて助け導くのは教育の常道である。子弟が横道に入ろうとするのを戒め、諭すのは時を得た教えである。何事も教え導く人が先に立って実行して見せ、子弟にやらせるのが教育の基本である。口うるさく注意しなくても、子弟がついてくるようになるのが、教育の極致なのである。押さえつけたり、誉めたり、激励して導くのも、そのときに応じた臨機応変な方法である。このように教え方にもいろいろな方法があるのだ。

 

 

 

 

 

好みて大言を為す者有り。其の人必ず小量なり。好みて壮語を為す者有り。其の人必ず怯愞なり。唯だ言語の大ならず壮ならず、中に含蓄有る者、多くは是れ識量弘恢の人物なり。(第68条)

訳:

世の中にはよく大きなことを言う人がいるが、そんな人はだいたい度量が小さい。また、強がりなことをいう人がいるが、そんな人は必ず臆病な人である。大言でもなく、壮語でもなく、言葉の奥に深い意味を含んでいる人こそ、見識が高く、度量も広い人物である。

 

 

 

 

 

智、仁は性なり。勇は気なり。配して以て三徳と為す。妙理有り。

訳:

「知恵」と「仁」は持って生まれた本性である。「勇気」は本性から出る気であり、後天的・経験的なものである。この三つを合わせ以て三徳といっているが、妙に意味がある。

 

 

 

 

 

天を以て得る者は固く、人を以て得る者は脆し。(第94条)

訳:

自然に従い得たものは強固であり、人の知恵によって得たものはもろい。

 

 

 

 

 

老人は衆の観望して矜式する所なり。其の言動は当に益端なるべく、志気は当に益壮なるべし。尤も宜しく衆を容れ才を育するを以て志と為すべし。今の老者、或は漫に年老を唱え、頽棄に甘んずる者有り。或は猶お少年の伎倆を為す者有り。皆非なり。(第108条)

訳:

老人は多くの人から尊敬される立場にいるのだから、その言動は端正で、その意気はますます壮大でなければならない。そして多くの人を包容し、若い人を育て上げることこそ望ましい。ところが、いまの老人には、もう年寄だからといって、みずから粗大ごみに甘んじているか、さもなくば少年のようなわがまましか示そうとしない者がいる。いずれもよろしくない。

 

 

 

 

 

為すを無くして為す有る、之を誠と謂い、為す有りて為す無き、之を敬と謂う。(第100条)

訳:

なにかをしてやろうという考えがあるわけではないのに、その人が登場するといつのまにか問題が解決しているというのが「誠」である。また、やった仕事が、あたかも何もなかったかのようにやるのが「敬」である。

 

しゃしゃりでず黙って解決し、あたかも何もなかったかのように振る舞える人は非常にスマートでかっこいい。

 

 

 

 

 

寛懐にして欲情に忤わざるは和なり。立脚して、俗情に墜ちざるは介なり。(第111条)

訳:

ゆったりした気持ちで、世の中に逆らわないのが「和」である。また、自分の立場を正しく守り、世俗の欲望に惑わないのが「介」である。

 

 

 

 

 

人は皆身の安否を問うことを知れども、而も心の安否を問うことを知らず。宜しく自ら問うべし。「能く闇室を欺かざるか否か。能く衾影に愧じざるか否か。能く安穏快楽を得るか否か」と。時時是くの如くすれば心便ち放れず。(第98条)

訳:

人はみな自分の健康については心配するが、心の状態が健康であるかどうかは気にしていない。時々は、次のようにして自分に問いかけてみるといい。「独りでいるとき、心を欺くようなことはしていないか。独りで行くとき、自分の影に恥じるようなことはしてはいないか。独りで寝るとき、自分の夜具に恥じるようなことはしなかったかどうか。そして自分の心が安らかで愉快に楽しんでいるかどうか」と。

このように反省する心を持っていれば、心は決して放漫にはならない。

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