リーダーのための聖書(バイブル)『言志四録』より格言を厳選して紹介する。
『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録』から構成される『言志四録』は、著者・佐藤一斎の書いた年代によって分けられている。
今回は一斎が最晩年に書いた『言志耋録』より抜粋する。
あなたの心に残る言葉がみつかれば幸いである。
我れ自ら感じて、而る後に人之れに感ず。(第119条)
訳:
何事も、まず自分が感動して、人を感動させることができる。
一息の間断無く、一刻の急忙無し。則ち是れ天地の気象なり。(第44条)
訳:
宇宙天地の運行は一瞬も休むことなく、また少しも乱れることなく一定のリズムがある。
人は童子たる時、全然たる本心なり。稍長ずるに及びて、私心稍生ず。既に成立すれば、則ち更に世習を來帯して、而して本心殆ど亡ぶ。故に此の学を為す者は、当に能く斬然として此の世習を袪り以て本心に復すべし。是れを要と為す。(第51条)
訳:
人間は、幼い子どものころは、完全なる真心を持っている。やや成長してくると、私心が少しずつ出てくる。一人前になると、その上にさらに世俗の習慣が身について、真心をほとんど失ってしまう。だから、聖人になるための学問をする者は、いつもこの世俗を振り払って、その真心に戻る工夫をするべきである。肝心なことである。
心無きに心有るは、工夫是れなり。心有るに心無きは本体是れなり。(第55条)
訳:
心の本体はないようであるが、存在しているとして追及していくのが修行である。反対に、心はあるものとして追及して、ないものと悟るのが真実である。あるのも真実であれば、ないのも真実である。
「人の生くるや直し」。当に自ら反りみて吾が心を以て柱脚と為すべし。(第58条)
訳:
「人がこの世に生きていけるのは、正直によってである」。この言葉をよくかみしめてみずから反省し、自分の心をもって解釈すべきである。
窮む可からざるの理無く、応ず可からざるの変無し。(第68条)
訳:
いかなるものでも極められないという道理はない。また、物事がいかに変化しようと、それに対応できないということはない。
人は須らく快楽なるを要すべし。快楽は心に在りて事に在らず。(第75条)
訳:
人間は楽しむところがなくてはならない。楽しみは自分の心の持ち方であって、自分の外にある要因からくるものではない。
胸次清快なれば、則ち人事の百艱も亦阻せず。(第76条)
訳:
心がさわやかであれば、どんな苦労でも難なく処理することができる。
敬稍弛めば、則ち経営心起る。経営心起れば、則ち名利心之れに従う。敬は弛む可からざるなり。(第94条)
訳:
敬い慎む心がゆるんでくると、たくらみの心が起こってくる。たくらみの心が起こってくると、名誉欲や物欲が湧きだしてくる。だからこそ、敬い慎む心をゆるめてはいけない。
凡そ事を為すには、当に先ず其の義の如何を謀るべし。便宜を謀ること勿れ。便宜も亦義の中に在り。(第96条)
訳:
何かをやるときには、まず最初に、そのことが道理に合っているかどうかを、よく考えなければならない。また、自分に都合よく考えてはならない。その都合のよさも道理に適っているかどうかに含まれる。
自ら欺かず。之れを天に事うと謂う。(第106条)
訳:
なによりも自分で自分を欺かず、至誠を尽くす。これを天に仕えるという。
凡そ人事を区処するには、当に先ず其の結局の処を慮って、而る後に手を下すべし。楫無きの舟は行ること勿れ。的無きの箭は発つこと勿れ。(第114条)
訳:
物事を処理する場合、まず考えておかなければならないことは、「仕上がり」(完成図)を予測して臨むことである。そうでないと、舵のない船で漕ぎ出したり、的のないところに矢を射るような愚行となる。
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