リーダーのための聖書(バイブル)、『言志四録』より格言を厳選してお届けする。
『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録』耋の4つより構成される言志四録。
今回は『言志晩録』より抜粋する。
あなたの価値観を変える言葉と出会えたならうれしく思う。
少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。(第60条)
訳:
小さい頃に学べば、壮年になり何かを為すことができる。
壮年にして学べば、老年になっても気力が衰えることはない。
老年になっても学んでおけば、ますます見識が高まり、死んでもその名は残る。
一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。(第13条)
訳:
長い人生のうちには、暗い夜道を歩くようなこともあるが、一つの提灯を掲げていれば、いかに暗くとも心配することはない。その一灯を信じて歩め。その提灯こそ、志に他ならない。
古の儒は立徳の師なり。「師厳にして道尊し」。今の儒は立言のみ。言、徳に由らず。竟に是れ影響のみ、何の厳か之れ有らん。自ら反ざる可けんや。(第40条)
訳:
昔の儒者はみずから道徳を守り人を教え導く師であった。まさに「師は厳格であり、その説く教えは尊い」ものであった。しかし今の儒者は徳を教えながらその徳も守れず、教師面をしているだけである。どこにも師としての厳格さがない。これは私自身も反省するところである。
独得の見は私に似たり。人其の驟に至るを驚く。平凡の議は公に似たり。世其の狃れ聞くに安んず。凡そ人の言を聴くには、宜しく虚壊にして之を邀うべし。苟くも狃れ聞くに安んずる勿くば可なり。(第55条)
訳:
独特な意見や見識は初めて聞くものなので、聞くほうは驚く。だが平凡な意見は常識のように聞こえるので安心して受け入れる。しかし、人の話を聞くときは虚心坦懐、すなわち心を素直にして聞くべきである。仮にも耳慣れた意見ばかりを受け入れ、異なる意見を嫌ってはいけない。
我れは当に人の長所を視るべし。人の短所を視ること勿れ。短所を視れば、則ち我れ彼れに勝り、我れに於て益なし。長所を視れば、則ち彼れ我れに勝り、我れに於て益有り。(第70条)
訳:
人を見るときはその人の優れたところを見るべきで、短所を見てはいけない。短所を見ては自分が優れているので、おごりの心が生じ自分のためにならない。だが長所を見れば、相手が自分より優れていることがわかり、これに啓発され、励まされるから自分の利益となる。
志、人の上に出ずるは、倨傲の想に非ず。身、人後に甘んずるは、委苶の陋に非ず。(第71条)
訳:
志が人より高いからといっても、それは決して傲慢な思いではない。また、人の後について身を低くしていられるのは、それは委縮しているのでも、醜いことでもない。
国乱れて身を殉ずるは易く、世治まって身を韲するは難し。(第91条)
訳:
国が乱れているときに、わが身を国のために捧げるというのは、さほど難しいことではない。だが、世の中が平安の時ときに、国のために身を粉にして奉公するのは困難なことである。
我れ無ければ則ち是ち其の身を獲ず。則ち是れ義なり。物無ければ則ち其の人を見ず。則ち是れ勇なり。(第98条)
訳:
人は無我の境地になれば、わが身を忘れるもので、そこにあるのは正義のみ。
物欲なければ人は眼中になく、ただるのは勇往邁進の勇気のみ。
「自ら反りみて縮ければ」とは、我れ無きなり。
「千万人と雖も吾往かん」とは、物無きなり。(第99条)
訳:
「わが身を反省して、少しも恥じるところがなければ」とは、無我の境地にあるときである。
「千万人といえども我れ往かん」と勇気が湧くときは、物欲にとらわれない状態である。
*孟子の「自ら反りみて縮ければ、千万人と雖も吾往かん」を解説したもの。
彼を知り己を知れば、百戦百勝す。彼を知るには、難きに似て易く、己を知るには、易きに似て難し。(第103条)
訳:
孫子の兵法に「彼を知り、己を知れば百戦殆うからず」とある。敵情を知ることは、難しそうに見えてやさしいが、味方を知ることは、やさしいようで難しい。
士気振るわざれば、則ち防禦固からず。防禦固からざれば、則ち民心も亦固きこと能わず。然れども其の士気を振起するは、人主の自ら奮いて以て率先を為すに在り。復た別法の設く可き無し。(第115条)
訳:
国民の士気が振るわなければ、国家の防衛を強固にすることはできない。防衛が堅くなければ、国民の愛国心も強固にすることはできない。その士気を奮起させるには、上に立つ者がみずから奮い立って率先垂範するところにある。このほかによい方法はない。
個人的に『言志晩録』は言志四録の中でも名言の宝庫だと思う。
その2も是非見て行ってもらいたい。
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