現代社会は下の者が上の者に意見することは容易ではない。できたとしても上の者からはあいつは厄介だと疎まれる風潮がある。
最近では完全実力社会の企業も存在するが、未だに年功序列社会の割合が圧倒医的に多い。
この現状に疑問を持つ若者は非常におおい。
「なぜあんな上司のもとで働かなくてはならないのか」「あの上司は仕事ができない」
このように思う若手が多いのが現状である。今回はこの絶対的存在である上司という社会はいつからできた、どういうものなのかを解明したい。
時代は戦国時代まで遡る。
社会は完全に下剋上の時代。年齢、勤務歴に関係なく完全に実力社会であった。
下の者が上の者を倒し、上り詰めていく。逆にキャリアが長くても家臣の実力に劣っていればおのずと地位は剥奪されることになる。
要は
「下が上を乗り越える」という考えかたである。
しかし、この考え方は次第に変化していった。
秀吉などがいい例である。彼はもともと松下という武将に仕えていた。持ち前の才覚でトントン拍子に出世したが、それを先輩は良く思わなかった。そして「秀吉は公金を使いこんでいる」という噂を流した。
気の弱かった松下は秀吉がいつまでもいると先輩たちがイジメをして家の中がゴタゴタすると思い、秀吉を呼び出し言った。
「退職金をはずむから家をでてくれ。お前がいると、ゴタゴタが起こって仕方がない。」
それに対し秀吉は答えた。
「わかりました。私の無実を知りながら、それをかばいきれないようなあなたを主人とは思いません。退職金はいりません。家を出ます。ただし、こうお考え下さい。あなたが私をクビにするのではなく、私があなたをクビにするのですよ。」
「下が上を乗り越える」思想はいつしか
「部下が主人を選ぶ権利」
へと発展していた。今の秀吉がいい例だ。つまり、「主人には部下を選ぶ権利がある。しかし部下にも主人を選ぶ権利がある」ということになる。
一般的な武士の考え方は、
主人は必ず部下の生活を保障しなければならない。部下の生活保障能力がない主人は主人ではない。従って部下はどんどん見限ってほかの主人に仕える。
というものであった。単に人がいいという利用だけでは主人の責務は果たせない。いかにして部下を食わせるか。という努力を行わず実現しない主人は次々と見限られた。
戦国時代とは、大転職時代だったのである。
使う側の論理ではなく、使われる側の論理がまかり通っていた。
「君、君たらざれば、臣、臣たらず」
つまり、主人(上司)が上司らしくしなければ部下も部下らしくしない。主人(上司)と部下は対等だという考え方の世の中だった。
この思想は江戸時代になると大きく転換させられる。
江戸時代に神として崇められた徳川井家康はこの平和な時代にそんな思想がまかり通ってはかなわないということで、学者の林羅山に相談した。林羅山はそこで朱子学を広めることを薦める。そして江戸時代は朱子学を全国的に教えることになる。
朱子学の思想はというと、
「君、君たらずとも、臣、臣たれ」
つまり、主人(上司)が上司らしくしなくても、部下は部下の責務を果たせ。というものである。
使う側からしたら、こんなに都合のいい論理はないだろう。
私は、ここから現在の風潮は始まったと考える。実際、戦国時代の主従関係と江戸時代の主従関係は全く違う。江戸時代の家臣はまさに現代の社会人のようなものである。君、君たらずとも、臣、臣たれ。果たしてこれで本当に良いのだろうか。
今までは生活保障能力のない主人であればすぐ転職できたが、今は生活保障能力のない主人のもとでも自分たち部下がなんとかしなければというスタンスなのだ。
徳川幕府のマインドコントロールといっていい。
とんでもない上司や社長であってもすぐ転職しようと思い実行できる人は現代多くいるだろうか?いや、その数は少ないだろう。
しかし、このマインドコントロールから解放された人たちがでてくる。
朱子学に対抗する、陽明学を学んだ人々です。
朱子学は先に述べたように、一言でいえば「人は生まれながら不平等である」といっているもので、不平・不満は慎みなさい。というものであった。
対して陽明学は「自分が心の中で疑問に思ったことは堂々と主張していいんだよ」というもので、実行しなさいという教えであった。
慎みなさいという朱子学と思ったことを実行しなさいという陽明学。相容れるわけがなかった。
幕末維新で活躍した志士たちの思想は、吉田松陰の影響を受けた人たちが多い。吉田松陰は、もうお分かりだと思うが、陽明学派だった。
こうして陽明学に傾向した人々の実行するという思想によって徳川幕府は倒れ明治時代となるが、ここでまた面白いことが起こる。
今度は天皇を日本のトップとし、臣民(日本国民)は天皇の部下であるから、立場を慎みなさいということになる。
同じことの繰り返しのようなころが起こるのだ。
私が思うに、人々は上下関係の不平等さに不満を感じ下剋上・革命を起こしても、いざ自分が上の立場になると、結局朱子学的思想を部下に求めるのではないか、と。これでは社会は何も変わらない。
今社会にいる人たちに必要な思想は、
「君、君たらざれば、臣、臣たらず」
の大転職時代に再び戻ることではないかと思う。
大転職時代となれば、企業のほうも変わらざるを得ない。うちはこんなに待遇が良いよ、と競い合うはずだ。そしてそれができない企業から人手が足らず仕事がまわわなくなり、また人が辞めていき倒産するだろう。
この考えを再び社会に浸透させるのは至難の業だろう。しかし、最近では完全実力社会の企業も出てきており、また、転職についても前向きにとらえる風潮が出てきている。
このまま時代が良い向きに進み続ければ、労働環境ははるかにいいものに発展するだろう。それには、この記事を見たあなたのように、大転職時代を考える人々が増えることが重要だ。
私は今後も情報発信をして広めていきたい。
あなたはどうするか。すべてあなた次第。
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