何のために勉強するのか。
この疑問をもつ学生は多い。国語だって数学だって社会科だって就職してから使わない、何なら就職せず自分ひとりの力で生きていくから勉強は必要ない。
こう考える学生が多く、この考えに反論できない教師、親が多いためだ。
私ははっきり言わせてもらう。勉強こそが人生で一番大切な時間だ、と。
勉強とはひとえに学校教育のことのみを指しているわけではない。
社会人になってからも勉強を大切だし、学ぶことは多い。
私が大切だと思う勉強は、テストでいい点をとる、いわゆる「詰込み型教育」を言っているわけではない。あらゆる分野の知識を身につけ、多角的な視点で物事を考える能力を指す。
わかりやすく言えば、歴史の知識を持たない人が「天皇の生前退位」を考えるのと知識をもった人が「天皇の生前退位」を考えるのではまったく違った考えを持つだろう。また、科学に精通した人が「再生可能エネルギーの普及」を考えるのと知識を持たない人とでは違った考えになる。
この二つの例では、もちろん知識を持った人のほうが現実的で具体的な考えをもつ。
最近では「やりたいことがない」「好きな事を仕事にしたいが、それがわからない」という人が多いように感じる。
「自由の檻」と揶揄されるように、選択が自由で無限大だからこそ何をしたらいいのか迷ってしまうという皮肉な現象が起こっている。
しかし、こういった発言をする人は何かに精通した知識を持っていない割合が高い。
ある学問を専門的に研究している人、もしくは東大や京大など難関大学と呼ばれる学校へ通っている人は「やりたいことがない」とは滅多に言わない。
なぜなら、あらゆる学問には解明されていない謎や、解決しなければならない課題が山ほど残っているからだ。そういった問題を知っているかいないかは、「信念」があるかないかとも言い換えられる。
人より勝ろうと思うならば、ひたすら学問をして、その智を人よりも高くしようと思うがよい。なんのために道を学ぶかというならば、善行を自慢せず、朋輩と争ってはならないことを知ることができるからである。高い官職も辞し、大きな利益も捨てうるのは、ただひとつ学問の力だけである。(徒然草第百三十段)
学問を学ぶことは人より優れた存在になる、と徒然草は説く。
たしかにそうかもしれない。実際、難関大学出身者の平均年収は他に比べて高い傾向にあるし、就職してからも読書をしている人はしていない人に比べて出世の割合と年収が高いことも分かっている。
学問をして、多角的な視点で物事をとらえる。このことが評価されている世の中なのは確実のようだ。
「何のために勉強するのか?」
その答えは、学問を修めた者のみが出せる答えであろう。
ただ、私がこの問に答えるとするならば、「己の信念を見つけるため」だと言おう。
知識がなければやりたいことが見つかるわけがない。もちろんその先の信念を持つなど奇跡に近いだろう。
あなたや、あなたの子どもが社会に出てからも「やりたいことがない」などと言った有様にならないために、学問は不可欠な存在である。
勉強をするには義務教育で行っている「詰込み型教育」では物足りない。
身近なところから本を読むことを習慣づけよう。本は簡単に入手でき、無限大の知識の宝庫だ。インターネットを活用して本や論文を読める時代になったため、ぜひ活用してほしい。
本を読めばあなたは次に行動を起こすだろう。それはどんな行動かは分からない。だが、知識がなかった頃のあなたでは絶対に思いつかなかった行動を起こす。
勉強には人生を変える力を持っている。
「何のために勉強するのか」
あなたの子どもに聞かれた時、しっかりと説明できる賢者となっていたいものだ。
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