詰め込み型学習が、現界に来ているのかもしれない。
日本の教育は、あなたが経験したように学習すべきことが提供され、それに何の疑問も抱かずにただ覚えるというものである。
戦後から、日本はこの型通りの教育を行ってきた。途中少しの修正は加えられたものの大筋は変更なく詰め込み型学習は長い年月続いている。
親世代もすでにこの教育で育った年代になった今、日本の教育のありかたをもう一度考えたい。
まず触れておきたいのは、日本の詰め込み学習も一定の効果がでていることだ。
OECD加盟国の義務教育終了時である15歳児を対象に行う「OECD生徒の学力到達度調査(PISA)」では安定して上位を獲得している。
つまり、詰め込み学習は基礎学力を身に着けるには適しているという結果が出ていることになる。
こう聞くとこの学習のままでも問題ないように思われるが、実は問題もある。
2019年の「THE世界大学ランキング」では、最高位が42位の東京大学、次に65位の京都大学、の二校のみが日本の大学のランクインした大学である。順位、校数ともに頼りない結果となった。
アジアの教育大国はシンガポールにとって代わられている。
義務教育終了時は優秀だった日本人の生徒たちはどうしてしまったのだと疑問に思うだろう。ここに、詰め込み学習の弊害が生じている。
自ら疑問を持ちそれを勉強するという、現在世界の教育大国で主流になっている教育がある。インターネットを利用して学びたいテーマを受講できる「カーンアカデミー」というサービスが存在している。それぞれ個人個人に最適化された教育を受けさせる時代になっているのだ。
今の詰め込み学習的義務教育が基礎知識を身に着けるのに効果的ということは前に述べた。だとすれば、その教育は無理に変える必要はない。
既存の教育のなかに、自ら学びたい講座をとれるインターネットを用いた個人向けの学習も並行して行えばいいだけの話だ。日本人が欠落しているこの部分をインターネットテクノロジーを用いて伸ばしていく。
もちろん、すぐにこれを学校教育に導入することは難しいだろう。となれば、自宅などで親が自ら伸ばしてやる他ない。ぜひともオンラインの教育も検討してみる必要がでてきたのだ。
学校の教師陣も、企業勤めを経験しておらず社会の仕組みを説明できる人が極めて少ないのが現状である。そうした義務教育では学べない部分を補う必要性が「THE世界大学ランキング」をみてわかる。
見ず知らずの人に子どもを教育させるのは不安な部分がたくさんある。特に、学校なら安心できるがインターネットだと不信感がぬぐえない人がいるだろう。
世界的に有名なサービスなら問題ないと思うが、もう一つ事例をあげようと思う。
現在、子ども教育で私が足りていないと思う部分がもうひとつある。それは思想教育である。
時代は江戸まで遡る。
武士の子どもたちは藩校や私塾を開いている大先生のもとで学ぶのが普通だった。彼らは朱子学か陽明学の儒学に傾倒していることが多かった。そこで国家の大切さ・親兄弟の大切さ・尊皇の大切さ・勉学に励むことの大切さなど、人間の心の部分を厳しく教えられた。思想教育である。
それぞれの先生のもとで思想を身に着けた志士たちは幕末から大東亜戦争終結まで、代々その教えを受け継いでいった。そして彼ら憂国の志士たちは国家のために身を捧げ奔走した者が数えきれないほど存在した。
現代は国家の行く末を憂うどころか、国家が何をしているのかも知らずに生きている人ばかりである。
このままでは民主主義という制度が意味を成さなくなるのではないかとさえ思う。
詰め込み学習では基礎知識は学べても思想は学べない。社会人として立派にひとり立ちして欲しいと願うなら、義務教育だけでは足りない部分があるだろう。
横並び平等教育が今の義務教育の根幹のように思う。しかしその中で個性を尊重する風潮がある。授業内容について全員平等を絶対とするが、教科ごとにできる生徒を依怙贔屓したり優遇したりする。
基礎教育を重んじるばかり、これは仕方のないことかもしれない。
しかし、やはり義務教育の時から得意・好きな分野を自主的に学ばせてあげたほうが成長するのは確実だろう。優劣関係なしにみんな同じ授業を受けていては得意な子ほど伸びにくい。
インターネットが普及した現在。
基礎教育は義務教育にまかせて、並行して子どもの学びたい分野を自主的に学ばせてあげることが、日本の未来のために繋がるのだ。
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