宗教と平和と科学について。神は科学で証明できる

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三つの宗教をみてきて思ったことを書く。

今回はそれだけの記事にしたいと思う。

私の家は曹洞宗であるが、個人的には特に信ずる宗教もないいわゆる無宗教である。

客観的な第三者視点からのこの三つの宗教論を述べたい。

 

三者とも国際問題を抱える宗教であるが、みてきたように一神教という性質が問題である。

日本人の私たちでは想像しにくい感覚だが、彼らはもちろん真剣に一つの神を信じている。受験前だから学問の神様の神社へ、結婚前だから縁起の神様の神社へ、恋人が欲しいから恋愛の神様の神社へ、などという事は絶対にしない。どの場合でも唯一神へ祈りをささげる。

エホバ・キリスト・アッラーと名前は違うがそれぞれが天地創造の神・全知全能の神であるのだ。

 

 

宗教とは紀元前から続くものであるが、本当に厄介なものだと思えてならない。私がこれから書こうと思っている内容は一神教の教徒の方の考え方とは相容れないと思うので先に警告しておく。これから先に書いてある内容は一神教の方は読まないでブラウザバックすることを強く勧める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教の問題ほどめんどくさいものはないだろう。なぜならば、それぞれが絶対の存在や答えをもっているからだ。それに反対の考えはすなわち間違った人、悪になる。こんなしょうもないいざこざを科学の発達したこの時代にまだやっているのかと思えてならない。

今までは科学で証明できなかった現象を神の仕業だとされてきた。いい事もわるい事も、原因がわからない事をすべて神様がやったことにしたのだ。おそらく、そうしたものに対して神という存在をつくることによって心の拠り所を求めたのだろう。

しかし、今ではあらゆることが科学の力によって解明されてきている。

地震はプレートのずれによって生じるし、太陽と地球と月と宇宙の関係で日食や月食が起こる。病気はほとんどが最近やウイルスが原因だし、人間は疲れると幻覚や幻聴が起きる。雨や台風も予測できるものだし穀物の育ちやすい場所育ちにくい場所は土の成分によって変わる。

例をあげればきりがないが、上のような例が解明されてない時代は、地震も月・日食も病気も雨も何もかも神様が御心ひとつで起こしていることだと考えられていた。

分からないことを神のせいにする気持ちはわかるし、不安な時は神に祈る気持ちもわかる。今だって神に祈る人は星の数ほどいる。私もその気持ちがわかる。

 

 

しかし、実際問題、神の仕業とされてきた事は科学の力によって否定されている。このまま研究が進めば神の仕業なんてものは一つも残らないだろう。それでも神を信仰する人たちはいなくならないと思う。

人間は神という心の拠り所が必要なのだろう。神が見ていてくれる、神が助けてくれる。そう思いたいだけなのだろう。

なぜなら、世間は冷たいから。社会は苦痛だから。生きているのは苦しいから。

 

人生とは苦しみである   ブッダ

 

ブッダが生きた紀元前の時代から生きることは苦しみであった。

心の拠り所を求め、宗教というものが成長したのだろう。

死後の世界や神が起こす奇跡などに惹きこまれて信者が増えていった。

 

 

しかしそれによって様々な戦争や虐殺が起こった。それも何度も。

信じる神が違い、教えも違う宗教が存在したからだ。やつらは間違った神を信じている、生かしてはおけぬと。

どうして神は宗教ごとに違うのだろう。教えも違うのだろう。それは神は人間がつくりだした創作物だからだ。

こんなことを言ってしまったら相当な反論が信者から寄せられるだろう。しかし、それが真実だろう。人間が、心の寄りどころを自らつくりあげた。「神」という全知全能の存在がいる私たちは大丈夫だと思いたかった。

そして心の拠り所を求める人たちに流れるように広まったのだろう。一種の洗脳と変わらない。

この点で新興宗教と世界三大宗教は本質は変わらないと思ってしまう。

地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教は教祖麻原が神だった。そして神の命でサリンをつくり人の命を奪っただけだ。イスラム教でいうジハード(聖戦)に通ずるところがある。世界的に大問題となったが、イスラム過激派のテロリズムと同じものに過ぎない。彼らはあれが正義なのだから。

 

 

 

宗教問題はお互いの正義が違うから起きるが、その正義が統合されることはない。どちらかが折れるしかないのだ。しかしそんなことは絶対に起こらないだろう。

アメリカ国民は未だに聖書に基づいている政党という理由だけで投票する人が数多くいるし、バチカンの発言力もある。大問題のテロリズムもイスラム過激派からしたら聖戦である。

ほんとにもう何をやっているんだといった感じだ。

 

 

 

 

宗教が人を支配していては何も解決しない。問題を解決するのは科学だ。

科学をもっと身近な存在にして、教育にもふんだんに取り入れて神という存在に頼らない世界になるしかないのではないか。

宗教の争いに道徳を持ち込んでもらちが明かない。科学という神よりも信用できる真実を浸透させることが世界を本当の意味で一つにできる方法なのだと思う。

 

P.S. 宗教と世界史について知らない人が世界平和と叫んでいるのはギャグでやっているのでしょうか?

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この記事を書いた人

文系で日本史専攻→システムエンジニア
情報処理安全確保支援士・AWSSAP
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