魔女狩りとは何だったのか、宗教を信じるアホな人たち

魔女狩り、魔女裁判なるものが実際に行われていた。

これは一種の宗教的な行動だった。もっといえば、宗教じみた「信じる」という恐ろしい力が生み出した行為であった。それはのちに金銭がらみ・告発合戦へと姿を変えるが、もとは宗教をとにかく信じたことにあった。

今回は魔女狩りから宗教というものを見ていきたい。

 

 

中世ヨーロッパでは「悪霊」なる存在が大真面目に信じられていた。

神々は一番高い領域にあり、人間が一番低い領域にある。そして、その中間にあるのが神霊である。その肉体は不滅だが、人間に相通う情念を持っている。  聖アウグスティヌス

神霊とはつまり悪霊のことである。

悪霊についてアウグスティヌスはこう言っている。

空気のような獣であり、害をなそうと躍起になり、徳には縁がなく、うぬぼれで膨れ上がり、嫉妬で青ざめ、巧妙に人をだます者

 

もう一度いうが、当時は悪霊という存在が本気で信じられていた。悪霊は人間を操り悪さをする。超簡単に説明するとこういう理論である。

当時は今ほど科学が発達していなかったため、日常は不思議なことで満ち溢れていた。夢についてもバカ真面目に議論されていた時代だ。悪夢や金縛りなどは全て悪霊のせいだとされていた。なかには夢魔がおりてきて寝ている間に性交されているなんて話も当時は一般的だった。

そんな時代に、魔女という存在が信じられるようになった。

魔女なるものを信じる基盤は出来上がっていたのだ。都合の悪いことや気味の悪いことはすべて悪霊のしわざにしている世界だったのだから。

 

 

 

1484年、教皇インノケンティウス八世は有名な法王教書で次のように発言した。

 

近ごろ、多くの男女が邪悪な天使、男夢魔、女夢魔に身を任せ、もろもろのいまわしい妖術によって田畑の作物や果実を枯らし、胎児や家畜の子を殺し、女を赴任にするということを聞いている。

 

この発言によって悪霊に対する脅迫観念が高まることになった。

こうしてインノケンティウスはヨーロッパ全土でおびただしい数の「魔女」の告発、拷問、処刑に乗り出したのであった。

要するに、田畑の作物がうまく育たず、胎児や家畜の子がたくさん死んでいるという事態だったわけだ。科学的にみれば気候や土壌やせの問題、疫病の蔓延などが原因だろうが、それらはすべて魔女が乗り移った人たちの仕業だとしたわけである。だから魔女を殺そう、じゃないと生活が危ないと。

これから数世紀にわたって指導的なプロテスタント宗派とカトリック、さらには人文主義者までもが魔女の存在を信じ魔女狩りが行われた。

メソジスト教会を創設したジョン・ウェズレーは

 

魔女がいないと言うことは、聖書を捨てることに等しい

 

とまで発言している。

さらには高名な法律家であるウィリアム・ブラックストンは

 

魔女魔術および妖術の可能性、いな、その実在性を否定することは、旧約聖書と新約聖書のあちこちの節に明らかにされている神の言葉に反駁するところである。

 

ヨーロッパ全土、いやキリスト教徒すべてに魔女というものが本気で信じられていたことがわかる。恐ろしいのがこれを発言している人が知識のある学者クラスの人だということだ。まさに狂気の時代である。

 

 

 

その後インノケンティウスが命じて十五世紀末の学問を駆使して幅広い調査を行うよう命じた。そうして聖書・古代文献・当時最新の学問的著作を総動員してできあがったものが、人類史上最も恐るべき書物とされる

『魔女への鉄槌』

である。これを読んで分かるのは、あなたが魔女として告発されたなら、あなたは魔女ということだ。被告には何の権利も与えられない。告発が正しいかどうかは被告を拷問にかければいつも必ず証明することができた。被告は告発者と直接対決することすらできなかったのである。

この拷問マニュアルには、魔女が拷問で死ぬ間際に、その体をいたぶって悪魔を追い出すための方法まで書かれている。審問官たちはこの『魔女への鉄槌』を片手にヨーロッパ中に飛び立っていった。

告発されるのはもっぱら女性であった。最初は下層階級がターゲットだったが、魔女だとされた者の家の財産はすべて教会と国家が分け合うことになり、上層階級にまでその手は及んだ。その上憎しみや嫉妬から内部告発が雪だるま式に増え、魔女の数は山のように増えていった。

 

 

 

 

こんな時代に生まれなくてほんとうによかったと思ってしまう。魔女だと言われれば魔女なのだ。逆にあいつは魔女だといえばその人は魔女なのだ。あほらしいの一言につきる。

宗教というものは人間を愚かな道にいざなう性格を持っているように思う。

神がいったことが正解であり真実という世界。そして悪い出来事は悪霊の仕業にできる世界。

それが宗教なのだと、私は思ってしまう。

当時はまだ科学が発達していない時代だからこそ、こういった恐るべき出来事が起こってしまった。これは人類史に永遠に名前が刻まれるものだろう。

しかしこと現代について視点をずらしてみると、未だに宗教がらみで問題が残っている。パレスチナ問題とテロリズムだ。アメリカ9.11は悲惨なものだった。イスラム教徒の特に過激派は異教徒を人間と認めない性格がある。そういう人たちを殺すことは罪ではく、何ならいい事とされる。なぜなら、それが神の御心だから、と。

科学の発達した現代において何をやっているんだと。

科学で説明できないものを神なり悪霊なりの仕業にした中世の人たちの気持ちはまだわかないでもない。しかし、科学で様々な物事に説明がつくようになった。神や悪霊などはもう必要ないところまできている。

科学を学び物事を論理的に考える教育が全世界で行われる日が来ることを強く願う。

 

P.S. いまでも宗教に入る人の話を聞くが心底理解できない。死後の世界や魂や幽霊なんてものを勧誘者から教えられたなら、一度自分で科学的にどう理論づけられているのか本などで学んだ方が良い。世の中の不思議はだいたい解明されていますよ。

 

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この記事を書いた人

文系で日本史専攻→システムエンジニア
情報処理安全確保支援士・AWSSAP
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