ユダヤ教解説:日本人が知らない宗教の話

教について知るにはまずユダヤ教を知ることから始まるといっていい。

今回はユダヤ教はこうして生まれた。という話をしていこうと思う。

宗教のテーマがタブー視されている日本において宗教について知識を得る機会はほとんど無い状況である。仏教や神道でさえ理解していない人ばかりである。

宗教と世界について興味をもつきっかけとなればうれしい。

 

 

なぜ宗教を知るにはユダヤ教から始まるかというと、ユダヤ教はキリスト教・イスラム教の母親的存在だからだ。キリスト教とイスラム教はユダヤ教の考えをもとに派生した宗教である。(厳密にはややこしい話があるのでそれはまたキリスト教・イスラム教の記事で詳しく述べる。)

 

ユダヤ教の特徴の一つに、一神教がある。

一神教とは言葉のとおり、神は1つしか認めない宗教で、日本のように八百万の神といわれるような多神教と対峙するものである。

宇宙の始まりはビッグバン理論が定説だが、ビッグバンが起こるにも最初の粒子が必要であるし、それに何かしらの化学反応が起こらないとビッグバンは起こらない。ここで一神教は神という絶対の存在をつくることにより、世界は神がつくった。(宇宙は神の一撃でつくられた)という考え方が生まれた。聖書には、

 

神は土の塵をこね、それに生命の息を吹き込み人間とした

 

と書かれている。つまり、神が土をこねて作り上げたものが人間であるということで、

神=創造主(造物主)

人間=被造物

という認識の宗教である。

なので、仏教の釈迦如来はもともとインド生まれのブッダが悟りを開いた姿なのでもともとは人間。つまり神の被造物にすぎないのでこれを崇めることは唯一神に対する冒とくだと、一神教徒は嫌う。神ではないものを神として崇めるのは大きな罪であると捉えられるため、多宗教と宗教戦争などに発展する可能性が高い。

こういう考え方が一神教である。

 

 

 

この一神教を初めて考え出したのがユダヤ民族である。

実はそれまでは多神教しかなかった。ギリシャ神話では最高神ゼウスと妃ヘラ、商業神ヘルメスなどが存在しており、ローマ神話ではゼウスはジュピター、ヘルメスはマーキュリーと呼ばれる。ギリシャ神話では最高神がゼウスで、日本神話ではアマテラスが最高神のように、神の中での順位はあったが、一神教とは全く違うものであった。

上に挙げたように、人間のはじまり、生命のはじまり、世界のはじまりを考え行きついた先に唯一神というアイデアが生まれたのではないかと思われる。

 

 

ユダヤ人が考えた唯一絶対の神をヤハウェ(エホバ)と呼ぶ。(発音の違いによって二つ呼び名があるが、どちらも意味は同じ)。

ヤハウェとユダヤ民族が契約をしたというのがユダヤ教である。(これがキリスト教でいう旧約だが、ユダヤ教はイエスを神と認めていないのでユダヤ教徒にこの発言をすると大問題になる)。

契約の内容とは、

「ユダヤ人はエホバ以外の神を神としてはならない」

というものであった。そのかわりエホバは、すべての民族のなかからユダヤ民族を選び、これを積極的にサポートする。これを「選民思想」という。

ユダヤ人だけ選ばれたという選民思想は、ユダヤ民族であれば誰であれ神に救われるということで、逆をいえば、それ以外の民族は救われないということになる。

この契約を信じるのがユダヤ教であり、そのことは旧約聖書に書かれている。

 

 

 

 

ユダヤ民族は長らく定住地は決まらない民族であったが、今のイスラエルにある「カナンの地」あるいは「シオンの丘」が彼らの故郷となった。しかしその後彼らはエジプトの捕虜となった時代があるとされる。

このときユダヤ人たちは捕囚状態から一人の強力なリーダにより結束し、大脱出をしたということが旧約聖書の『出エジプト記』に書かれている。

そのリーダーの名はモーセであり、彼は預言者であった。預言者とは神のメッセージを受け取る人である。モーセはユダヤ民族を引き連れてエジプトを脱出し、神が与えた地(約束の地)であるカナン、今のイスラエルに戻れということを命じた。モーセはユダヤ民族を統合することに成功したが、エジプトとイスラエルの間には紅海がある。船をもっていない上、うしろからはエジプト兵が追ってきている。

その時、突然海が真っ二つに割れて道ができ、ユダヤ人が渡り切ったところで道は閉じ、そのあと入ってきたエジプト兵は全員溺れ死んだと聖書には書かれている。

 

 

その後モーセはユダヤ人をイスラエルの地に戻すことはできず、その任務は次の世代の預言者であるヨシュアに引き継がれる。ヨシュアはユダヤ人を連れて約束の地を取り戻すことに成功することが『ヨシュア記』に書かれている。

聖書の『ヨシュア記』には、約束の地を取り戻す経緯が書いてある。

 

彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした      (6章21節)

 

ヨシュアは、山地、ネゲブ、シェフェラ、傾斜地を含む全域を征服し、その王たちを一人も残さず、息ある者をことごとく滅ぼし尽くした    (10章40節)

 

これらの町町の分捕り品と家畜はことごとく、イスラエルの人々が自分たちのために奪い取った。彼らはしかし、人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さなかった。・・・主がモーセに命じられたことで行わなかったことは何一つなかった  (11章14~15節)

 

 

 

以上を読んで分かると思うが、聖書にはユダヤ民族以外の人(エジプト兵、イスラエルに住んでいた人)たちが大勢死んでいる。しかし、これらは全て絶対エホバが預言者に命じたものとして問題にはされないのである。

こうなると、エホバはユダヤ人をえこひいきしすぎている感が否めない。いや、実際えこひいきしている。そういう契約であるから。

これがユダヤ教が世界宗教になれない理由である。

ユダヤ教は民族宗教であり、民族の間でのみ信仰されるものである。大して世界宗教は民族の垣根を越えて信仰される宗教である。

このことがのちにキリスト教が生まれる要因となってくる。

 

 

 

以上がユダヤ教の概要である。

唯一神というものが日本人には意識しにくいが、この意識が時に争いを生む。

もし興味をもってくれたのなら、ユダヤ教から派生したキリスト教・イスラム教についての記事も読んで、知識を深めていってほしい。

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この記事を書いた人

文系で日本史専攻→システムエンジニア
情報処理安全確保支援士・AWSSAP
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