【資本主義・人間至上主義の末路】人間の生きる意味という幻想【うまく生きるコツ】

私たちは人間が生きる意味を大そうなものだと認識したがる。人間至上主義がもたらした思想だ。

会社の上司も、学校の先生も、親も、偉そうな学者、有識者も、起業家、社長も、だれしも理想や夢を語っているだけで、生きる理由なんて見当たらない。彼らが言っているのはただの欲望だ。金持ちになりたいだとか、幸せになりたいだとか、家族を持ちたいだとか、それらは欲望だ。

人間は欲望を追い求めるために生きているのか?だったら、欲望を追い求めることが人間の輝かしい「生きる意味」なのか?

それはブッダの言葉通り、「人生とは苦しみである」が体現された世界だ。

 

目次

1章 人間の生きる意味

人間の生きる意味なんてものはない。

それは人間が自身で作り出した幻想だ。生きる意味がないと生きていても虚しいだけだという理由からがんばって考え出したものだ。しかし、その中身はなんとも陳腐なものじゃないか。輝かしく聞こえる夢、例えばサッカー選手になりたい、歌手になって世界中に感動を与えたい、お金持ちになって楽して生きたい、軍隊に入って祖国を守りたい・・・。これらは言葉にするだけで不特定多数の人間から応援されたり賛美されたりする魔法の言葉だ。

しかしそれらはただ人間の欲望でしかない。

欲望を夢という聞こえのいい言葉でごまかしているだけで、実体は欲望そのものである。そして人間の欲望は果てしない。おそらく彼らはその「夢」が叶えば新たな「夢」を追い求めるだろう。「夢」の奴隷か何かか?

 

人間の生きる意味があるとすれば、それは生態系を維持することだった。

人間がまだ文明を持つ以前、生態系のピラミッドは安定していた。隕石や氷河期など異例を除いて。毎年一定数の肉食動物が生まれ、また毎年一定数の草食動物が生まれ、また毎年一定数の植物が生まれていた。各々が自分の種を残すことだけを優先し、それが保たれていた。そして人間もそのピラミッドの中の一員だった。

しかし、人間はその後急激な進歩を遂げた。文明を持ち、国家を築き、道路を整備し始めた。生態系は大きな変化を強いられた。果ては、人間は生物の真実、DNAにたどり着いた。DNAを操作することで生態系そのものを創りかえる力さえ手に入れた。

世界は人間のものになった。

しかし、もとをたどれば人間は生態系を支えていた一種族にすぎない。花を咲かせて種を残して散っていく植物をみて、彼らの生きる意味を見出すことは可能か?人間ももとを辿れば植物らと同じようにただ種を残して死んでいくに過ぎない命だった。では、私たち人間に生きる意味を見出すことは可能か?もし、植物に生きる意味を見出せないのであれば、何故私たち人間にだけ生きる意味があると言えるのか?

ただ一つだけ理由があるとすれば、生態系を維持するために繁殖を行う。

それだけではないか。

 

 

2章 搾取するもの、されるもの

人間の世界は常に搾取するものとされるものに分かれて進んできた。

今は資本主義社会が成り立っており自由な生活ができていると感じるかもしれない。しかし、人間の社会は大した変化を遂げていない。

日本だけでみても、社会体制は様々な変化を経験した。大和王朝が日本を統一し、王となった。多くの人間は百姓として米を生産したり兵士になったりして王に仕えた。王家の血筋はそのまま尊重され、数々の王が後を継いだが、多くの人間は相も変わらず王に仕え搾取されつづけた。

次は藤原家の貴族の社会になるが一般農民の生活はさして変わらない。コメをつくり納める、兵士になり国をまもる。武士の台頭になり戦国の世が明けると貴族のポジションに大名がとって代わった。武士の社会は江戸時代まで続いたが、百姓は変わらずコメをつくり納め続けた。明治以降は天皇がトップの座に座ったが、一般国民は労働し兵役に従事する活動をつづけた。そして今は、資本家がトップの座を奪い、一般市民は変わらず労働に従事している。

幾多もの社会体制の変化は、搾取するものと搾取されるものという二分された人間社会そのものは変えることがなかった。資本主義もいずれ崩壊し新たな社会体制が生まれるだろうが、果たしてこの二分された格差はなくなるのか?

 

生きる意味というものは、多くが搾取する側の創出したものだ。

彼らと労働者では生き方も価値観も金銭感覚も何もかもが違う。別の世界の住人だ。労働者が一日に10万円使えば大分ふんぱつしたことになるが、資本家は一日に100万1000万使おうが痛くもかゆくもない。別次元の格差を資本主義社会は創出している。これは資本主義が続く限り合法な格差だ。

そして、私たちは彼ら搾取する側の言葉に耳を傾ける。例えば成功した実業家や著名人などいわゆるカリスマと呼ばれる人間の言葉だ。彼らの言葉はキラキラしていて生きる希望になったり心の支えになったりする。しかし、労働者と彼らとの間には分厚い壁がそびえたっている。

彼らの存在や言葉のおかげで、まるで生きる意味が人間にはあるかのような錯覚に陥るが、それはあくまで錯覚にすぎない。人間は希望にすがりつく習性があると心理学の研究で明らかになっている。その習性のおかげで人間は搾取する者をみて何かキラキラした生きる意味を見つけてしまう。

 

資本主義の社会では労働こそが人間の本質になっているようだ。資本家なんてものは数えるくらいしか存在しないのに対して労働者は地球上の人口のほとんどを占める。週に5日ほど働いて生活していく。これを40年50年続けるのが資本主義の人間の一生だ。

人間は苦しみ続ける。まるで生まれてきてしまったことが全ての元凶のように。

 

 

終章 この世界で生きていく

生まれたからには生き抜いていくしかない。

この生きづらい世界を生きていくコツは人間に期待しないことだ。

人間に期待するから、辛い思いもするし悲しい出来事もあるが、そもそも人間に期待しなければ何も理不尽だとは思わなくてすむ。

人間なんてしょせん生態系を維持する一システムにすぎないのだと割り切って生きるしかない。

人間はいつまでも欲望を追い続ける。ブッダはそれこそが人間が苦しむ理由だと突き止め、欲を捨て去る悟りの道に進んだ。しかし、たどり着いた先は「人生とは苦しみである」だった。欲望と人間は切っても切れない関係なのかもしれない。

人間はみな欲望を求め生きている、しょせんそんなものだと割り切るのが得策である。

 

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この記事を書いた人

文系で日本史専攻→システムエンジニア
世の中の役に立つシステムを開発・導入してます。
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