資本主義とは。労働者と資本家の貧富の差は絶対に縮まりません!

労働者であり続ける限り、資本家との格差は広まる一途である。

それは私たちが日本という資本主義の国で生きているうえで当たり前の事実だ。

資本主義は資本家が富を蓄積し続け、労働者は貧困の生活し続ける。

そういう世界だ。

 

 

まず、そもそも資本主義とは何なのかについて、公平性をモットーにしているWikipediaから引用してみる。

 

資本主義(しほんしゅぎ、英: capitalism)または資本制は、営利目的の個人的所有者によって商業や産業が制御されている、経済的・政治的システム。資本主義に基づく社会は「資本主義社会」「市民社会」「近代社会」「ブルジョア社会」等という。
資本主義は封建主義の後に現れた体制である。産業革命および、アメリカ独立革命やフランス革命等の資本主義革命(市民革命)によって確立された。

資本主義は一切全てを商品化していく「市場システム」であり、諸々の近代国家に蓄積させ競合させる「世界システム」だとされる。その主体は企業であり、これが物財やサービスを生産し流通させている。構造的には、資本(としての生産手段)を私有する資本家が、労働者から労働力を買い、それを上回る価値のある商品を生産し、利潤を得ている。

資本主義の弊害に対し、修正や反対をする概念や立場には修正資本主義、反資本主義、社会主義、共産主義、国家社会主義(ナチズム)、結束主義(ファシズム)、第三の道、第三の位置等がある。また自由競争を更に推進する概念や立場には新自由主義、リバタリアニズム等がある。

 

 

簡単に言えば、全てのモノ・サービスが商品化されている。つまり、すべてのモノ・コトに対価(お金)を必要とする社会であるということ。

そして、この社会の主体はモノ・サービスを生産する企業である。その企業では、資本家が労働力をお金で雇い生産がおこなわれている。

これが資本主義であり、つまり、今の日本の構造である。

 

 

日常レベルにおとして例えるなら、生活する上で食べたりシャワーを浴びたり家に住んだりする。また、娯楽のためにテレビを見たりスポーツをしたり音楽を聴いたりする。これらに私たちは日常的にお金を払っている。なぜなら、それらは「商品」であり、私たちは「お金」の対価としてその「商品」を利用しているからだ。

そしてそれらの「商品」は企業が生産している。ハンバーガーはマックやモスバーガーなど、シャワーの水は水道会社、テレビはテレビ会社といった具合に。

改めて説明するまでもないが、これが資本主義の構造だ。

 

 

 

本題はここから。

いま説明した、私たちが生活する資本主義は大きく分けて二種類の登場人物で成り立っている。

 

一つは資本家

もう一つは労働者

 

この記事を読んでいるあなたも、このどちらかの人間のはずだ。

 

 

資本家は資本(お金だと思って問題ない)を元手に市場から労働力・技術(機械など)を購入する。購入された労働者が機械や自身で商品を生産する。そして最終的にはその商品の価値(お金)が労働力と技術を購入した金額よりも高く売る。この差が利潤となり資本家の富の蓄積につながる。

その増加した富を、以前より多くの労働力・技術の購入に費やし、企業は大きくなっていく。そのぶん資本家の富は蓄積し続ける。

 

逆に労働者は自分の労働力を企業に売り、その対価として企業からお金を得る。その金額は企業によって様々だが、平均的にみると(日本のサラリーマン平均約400万前後)生活をするのに最低限かつたまに娯楽できる程度のものだ。企業の商品を実際に生産しているのは労働者ということになるが、その所有権は労働者ではなく資本家に帰属する。自分でつくったものに自分の所有権がないのだ。

 

 

 

以上が資本主義社会に存在する二種類の人物の特徴だ。

両者の間には、決定的な違いが存在する。

それは、貧富の差に関係する。

 

資本家は資本を元手に商品をつくり利潤を得る。要はお金→商品→お金のサイクルを繰り返す。

つまり、お金をお金に換える行為こそが資本家の本質となる。もちろん最後のお金の方が最初のお金よりも多くなければやっている意味がないため、お金はどんどん増えていくことが必然である。

 

逆に労働者はどうか。

はじめにすることは自身の労働力を資本家に買ってもらい、もらった対価で商品を購入し生活する。

つまり、商品(労働力)→お金→商品(生活品)のサイクルになる。

このサイクルでは、お金は全て商品(生活品)に消えてしまうことになる。実際に給料は生活費でほとんど残らないという人もいるだろう。それは全て上のサイクルで説明がつく。資本主義において、労働者がしていることはお金を得ることではなく、労働力と生活品を交換しているだけなのだ。

 

 

お金をお金に変える資本家に一方的に富が集まり、労働力を生活品に交換する労働者に富は蓄積されない。

これは上のサイクルが示す通り至極まっとうな話なのである。

 

 

 

 

これを知ってどう思うだろうか。

資本主義は、自由で何をしてもいい、拘束もなにもない経済だと信じていたかもしれない。しかし、それは資本家限った話だ。労働者に与えられた自由は、「自分の労働力を誰に売るかを選ぶ自由」のみ。資本家に労働力を買われれば、自分自身は商品として資本家の言う通りに動かなければならない。なぜならば、資本家はお金であなたの労働力という商品を購入したわけだから、その所有権は資本家にある。自分で買ったペットを好きにしていいのと同じことだ。しかし労働者は自分で生産した商品の所有権は獲得できず、それは資本家のものとして市場で売られ、資本家に富が蓄積していくだけ。

 

私はなにも資本主義はダメだと批判したいわけではない。ただ、これが資本主義だと伝えたかった。

実際、この思想をもとに社会主義の国が生まれ(ソ連など)、実際に全員平等の社会をつくったが上手くいかなかった。

あなたが資本家階級なのか労働者階級なのかはわからないが、この資本主義の世界でどう生きるべきかを考え直す機会になれば幸いだ。

この記事はまるっきりマルキシズムである。

興味をもったのなら、マルクス『資本論』を読むことをおすすめする。

それでは。

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この記事を書いた人

文系で日本史専攻→システムエンジニア
世の中の役に立つシステムを開発・導入してます。
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