格言の宝庫、セネカの言葉を紹介する。
セネカの著書『幸福な人生について』から今回は抜粋する。
紀元前に生きた彼の言葉は、現代を生きるわたしたちの心にも響くものが多くある。
幸福に生きることはすべての人の願いではあるが、何が人生を幸福にしてくれるか、というはっきりした知識を持っている人は少ない。したがって人生を幸福に暮らすことは容易なことではない。もし道の選択を誤ると、幸福は得られない。まして反対方向の道を選んだりすると、幸福を求めて急げば急ぐほど、幸福から遠ざかることになる。
何が自分を幸福にしてくれるか。それを知っている人もいるし、まだ探している途中の人もいる。
もしまだ見つかっていない人は、いまやっている事はあなたを幸福にしてくれない事なのかもしれない。
誤った道の中で幸福を得ようと頑張っても、幸福から遠ざかっているだけかもしれない。
私たちは、私たちが求め続けている幸福な人生とはどんな人生なのかを明らかにし、その境地にいちばん早く到達できる道を探し出さなければならない。
もし、正しい道を選ぶことができれば、日々に歩んだ道のりがわかり、最終ゴールに向かって現在どの地点まで来ているかを知ることが出来る。しかし、指導者につかずに、とんでもない方角から私たちに呼びかけてくる雑音や不協和音に耳を傾けてさまよったりすれば、私たちは進路を踏みはずして人生を無駄遣いしてしまうことになる。
自分が幸福になれない道からの声をいちいち聞いていては、幸福の遠回りになってしまう。
しかし、全てを無視してしまっては、あなたが進むべき道との出会いを妨げてしまう。
その判断が全てである。
しかし、これが一番むずかしい。
どんな旅行に出かけても、よくわかっている道をたどるか土地の人に道を尋ねながら進めば、道に迷うことはない。ところが人生の旅路では、人々が頻繁に往来し踏み固めていった道ほど、私たちを迷路に引きずり込んでいくのである。だから、羊のように前を行く群れのあとを追ってはならない。他人のあとを追うのではなく、自分が行くべき道を自分で選んで歩まなければならない。
多くの人が歩んだ道ほど、私たちを迷わせる。
逆に、自分一人しか歩んでいない道ならば、迷うことはない。
自分の行いが、道になるのみである。
大群衆の中で互いに押し合ったなら、一人が倒れれば必ず他人を道連れにする。前を行く者が倒れれば、あとに続く者がつまずく。自分も前を行く群衆に盲従し、自分の判断よりは他人を頼りにするならば、人々が過去代々にわたって犯してきた過ちを繰り返すほかはない。
周りと同調すれば、自分のせいでない事で被害を被ることも多い。
成功、失敗に自分の影響はあまり左右されない環境だ。
それでいいと思う人もいれば、それでは嫌だと思う人もいる。
それで嫌と思っていながら、その環境に身をおいている人が一番幸福から遠い存在なのは明らかだ。
大衆は気まぐれで信用できない。例えば、選挙で政治家たちを選んだ人々が、あとになって、どうしてこんな連中が選ばれたんだろう、と他人ごとのようにいぶかっているではないか。ある事柄がある瞬間に人々の支持を得ていても、次の瞬間にはまったく見放されてしまうことが多い。こうした過ちを犯さないためには、自分と大衆との間に距離を置くことが必要である。
大衆ほど信用できないものはない。
ニュース・報道・デマなどで大衆心理はすぐに変わる。
自分の考えなんてものがあったとしても、大衆の風潮にあわせて自分の意見もころっと変える人もいる。
生きているようで、ただ存在しているだけの人々だ。
大衆の中の一人にならないように生活することが、幸福への第一歩だ。
人生の幸福について考える場合には、選挙のときのように、「こちらのほうが多数党になりそうだ」などということに気をつかう必要はない。どうするのがいちばん世間並なのかではなくて、何をするのが最善なのかを探り当てるべきである。何が烏合の衆にうけるのかではなくて、何が私たちの願望を永遠の幸福に結び付けてくれるのかについて考えることが大切である。
それぞれの人間の幸福は、それぞれの人間に考えさせるのがよい。
忙しい日々に追われていると、人生について考える大切な時間を削り、娯楽に時間を費やしてしまいがちだ。
幸福とは人それぞれであるから、それを自分と相談して決めなければならない。
人はなぜ、他人に見せびらかすための幸福に魅せられ、自分自身で深く味わうための幸福を求めようとしないのであろうか?一目をひくものや、人々が感嘆しながらお互いに見せ合っているものは、外面はピカピカ輝いてはいても、中身はまったく価値のないものばかりである。
派手なものや高価なもの、有名なものにはついつい気がとられてしまう。
しかし、そのもの自体の価値を考える機会はほとんどない。
外面で気をとられ内面を見落とすと、損をすることも多い。
内面の価値で判断することを忘れてはならない。
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