死ぬまでに知っておきたい人生の話。

ひとりごと

人生は長いのか短いのか、楽しいのか苦痛なのか。

どのように歳を重ねていくのか。

正解がない人生を、ぼくたちはどう生きればいいのか。

 

 

 

 

考えてみれば、ぼくたちはいつ死ぬかわからない。

長生きするこがいいというような風潮があり、皆それを信じているみたいだ。

現代は医療が進歩しているから、長生きすること自体は難しくない。

でもぼくたちは長生きするために生きているわけじゃない。若くして死んだとしてもいい人生だったといえる生き方をした人はいる。吉田松陰や尾崎豊、太宰治らは若くして死に現代のぼくたちに多大な影響を与え続けている。

若くして死んでいき後代に影響を及ぼしている人たちは、様々な理由で死んだ。意図せずして殺された人、全てに絶望して自殺した人。ほんとに様々。でも、心残りはあるはずだ。とぼくは思うな。

 

 

あなたは今何歳?

ぼくは自分が年を重ねるごとに、自分の今の歳で死んだ人が誰なのかを調べるようにしてる。その人がやったことはとてもすごいんだ。人生をまっとうしたって感じで。

今ぼくが死んでも、たぶん誰にも影響を与えられないだろうな。

影響を与えられる人物ってどんな人なのかな。

昔の偉人だと思想家や政治家、軍人あたりだった。今でいうとアーティストら芸能人や実業家の人たちかな。

時代によってカリスマと呼ばれる職業は違うんだね。面白いね。

でも共通していることはある。第三者の考え方を変えさせたり、共感させたりする力をもっているんだ。これが影響力ってやつなのかな。

 

 

 

ぼくは今20代だけど、まだ死ねない。

まだ自分が生きた証を創り上げていないから。

死んだあとに評価される人は、その人が生きた証が評価されるからだよね。

だから、曲や絵といった形に残るモノを残せるアーテイストは評価されやすいよね。

対照的に会社員の人生をまっとうした人が評価されにくいのは、その人が生きた証がモノではなくて、心に残るからじゃないかな。一緒に働いた人や、家族の心に残る。第三者への影響力は少ないかもしれないけど、影響を与える人は必ずいる。

でもたまに、本当に何も生きた証を残さない人がいる。仕事も真面目にやらずに怠け続けて歳を重ねてきた人。

その人は、その年齢でしか、その人が生きた証を証明できないよね。

死んだら、全てが消える。まるで最初から何もなかったかのように。

 

 

さあ、ぼくたちは何を残そう。

ぼくたちの、生きた証を何にしよう。

ぼくは、ぼくの知識を後代に残したいな。

読書を重ねて得た、歴史の知識と、ぼくなりの見解を。

このウェブサイトが、ぼくの生きた証になればいいな。

これがモノとしての生きた証。

あとは、一生懸命働くよ。

同期の誰よりも、先輩よりも。

周りの人たちの心に、残れたらいいな。

 

 

セネカは言った。

「人生が短いのではない。自分で人生を浪費しているだけだ。人生はじゅうぶんに長い。上手く使えば、様々な偉業を成し遂げることができる。」

ほんとうにこの言葉は胸に刺さるよね。

インターネットとスマホが普及して、怠けようと思えば無限に怠けることができる環境でぼくたちは生きている。

無限に時間を浪費できるんだ。

どう生きても、いや、いつ死んでもぼくたちの自由だよね。

でも、死ぬ前に、ぼくたちが生きた証を創っておこうよ。

 

 

 

吉田松陰も太宰治も尾崎豊も、あなたの尊敬する人も、だれ一人として人生を浪費しなかった。

そして自分の生きた証を創った。もちろん、息抜きはしただろうけどね。

このことは、肝に銘じて生きなきゃね。

 

 

ぼくは、ぼくの人生は自分の手で終わらせたいなって思ってる。

それは良くない事でも親不孝でもなんでもない。終わりは待つものじゃないと思ってる。

ぼくたちの人生なんだから、終わる時もぼくたちの自由だよね。

 

それまでは、生きてみるよ。

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