日本の民主主義はもう限界かもしれない。

ひとりごと

日本は言わずと知れた民主主義国家である。

憲法で基本的人権として参政権が皆に認められている。18歳以上の男女は選挙で議員という民意の代表を選出し国政や県政、市政に求めることを表す。

戦後に起草された日本国憲法に基づくこの民主主義の在り方に限界を感じているのは私だけだろうか。

今回は民主主義国家日本に生きる一人としてこの国の未来を案ずる内容を記す。

 

 

 

 

 

そもそもの民主主義が正義とされる風潮はフランス革命に始まる。

ルイ14世がしいた絶対王政体制と重い課税、特権身分などに民衆が不満を高め、ルイ16世とマリーアントワネットの時代に王政を倒し、民衆による政治を実現させた。これが有名なフランス革命だ。

フランス人権宣言により、人間の権利というものが認識され、その後ヨーロッパでも民主主義の革命がおこる火付け役として機能したとして、正義の勝利といった印象が強いのではないだろうか。

エマニュエル=ジョゼフ・シエイエスが書いた『第三身分とは何か』がフランス革命の精神の柱となった。そこでシエイエスは「国民は全てに先攻して存在する。国民は全ての源だ。その意志は常に適法でありそれは法律である」「国民の意志は常に史上最高の法」といった主張をしている。

要するに民意は常に正しいから、民意によって政治がなされるべきだ。それは史上最高である。

ということが書いてあるわけであり、それを信じて起こったのがフランス革命である。そして現在の民主主義につながる。

 

 

しかし、民意、つまり国民は常に正しいことなどありえない。間違うことが人間であり、民意も間違うこともある。ナチスドイツの独裁者ヒトラーは選挙という民意によって誕生した。民衆は彼の登場を熱狂して支持した。そして史上最悪といってもよいユダヤ人へのホロコーストや第二次世界大戦へとドイツ国民と共に突き進むこととなった。

第二次世界大戦でいえば、日本も他人事ではない。当時戦争へと日本を突き進めたのは民衆とマスメディアだった。ひとたび対話路線を模索しようものなら、民衆・マスメディアから弱腰と総バッシングだった。日本を戦争へ走らせたのも民衆の意志もあったのだ。

民主主義は完璧ではない。正義とされるフランス革命の後、フランスは大混乱に陥った。民衆が民衆を統治しなければならないというジレンマに人々が困惑したのだ。各地で内乱が起こり、革命の波を恐れた他国からは宣戦布告をされる事態となった。それ以前に、フランス革命だけで実に60万人もの人が死んでいる。

 

 

 

 

私は民主主義を批判したいわけではない。

しかし、現代の日本の民主主義はいかがなものか、と思う。

民主主義が成り立つのは、国民の意志により話し合いが行われ、多数決の中に少数意見の尊重を取り入れ国の政策として実行するところにある。

しかし、今の日本の民意はどこにあるのだろうか。年々投票率は低下の一途をたどり、選挙により選ばれた議員も国民の民意の代表と呼べるものではもはや無いように感じる。そして、投票を行う人でさえ、政治にあまり興味がなく、公約もあまり読まないまま投票を済ませる人も多い。

国の政治をみんなで決めましょうという民主主義のいいところを、日本はまったく活かせていないように思えてならない。

これでは選挙をする意味すらもわからない。

テレビをつければ連日のように与党批判である。これは、マスメディアと国民が常に「正義」の立場にいると勘違いをしていることが原因だ。民意で選ばれた与党の批判をするのが「正義」の仕事という風潮か。この流れは今の野党が与党となったとしても同じように新たな与党の批判は続くだろう。なぜならば、マスメディアは「正義」を振りかざし与党を批判していれば視聴率がとれるから。

 

 

なによりも情けないのは野党である。

国会での内容のない質問攻めや、史上まれにみる森友・加計学園時の「十八連休」という蛮行は意味がわからない。

しかし彼らは私たちの代表として私たちが選んだ人たちである。

なぜならば民主主義だから。国民の意志で政治をするという「正義」を掲げているからだ。

 

 

 

国民が政治に興味がないのなら、そもそも民主主義は成り立たない。

民意を国政に反映できるから民主主義は素晴らしいとされているのではなかったか。民意が「政治は勝手にやってくれ」というのであれば、絶対的なリーダーが、周りが何と言おうと政治を断行すればいいではないか。

しかしそうなれば民衆は必ず結束し、「独裁者を倒す」と立ち上がるだろう。自らの権利はいっちょ前に主張するが、いざそれが保たれれば「政治は勝手にやってくれ」となる。民衆とはそういう自分勝手な存在だ。

今一度、日本人は権利の授業をきちんと受けるべきではないだろうか。なぜ私たちは基本的人権が認められているのか。なぜ権利を主張できるのか。

権利と義務は表裏一体である。ただ一方的に権利だけ与えられていると勘違いしている人が多すぎる。

私たちが基本的人権を国から認められている以上、権利をしっかり行使し、政治に民意を取り入れるべきである。自分たちの意志で国の方針を変えられる。それは大変良い事ではないか。

 

 

 

民主主義は民意あってこそ成立する。

さあ、意志をもって選挙に行こう。

コメント

  1. […] 以前、日本の民主主義はもう限界かもしれないという記事を書いた。それについて、興味深いデータが今回の参院選で出た。 […]

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