結婚とは呪縛か。一般人のひとりごと

結婚とは、人間の将来を縛ることになるのだろうか。

結婚することで、男女問わずそれまで通りの生活はできなくなる。自由気ままに生活していてはパートナー、また子どもに迷惑がかかるからだ。

自分の可能性を信じて自分の道に進もうとしている時に結婚なんてできるものじゃない。

だとしたら、結婚のメリットとは何だろうか。人間はなぜ結婚するのだろうか。

これは、今、私が思っている疑問のひとりごとである。

 

 

 

 

結婚の条件といえば相手の職業だったり年収だったりした上で、性格などを加味する。

やはり生活できるかどうかは大きな問題だからだ。

売れないアーティストや画家、お笑い芸人などの人たちとは、付き合ってはいても結婚するとなったら思いとどまる人も多いのではないか。

やはり生活が安定して送れるかというのは大事な要素なのだ。

しかし、それはお互いの人生の可能性を縛ることを意味するように思えてならない。

 

 

 

 

 

もしあなたが将来、音楽で自分の考えを表現したいと思っていたら、絵で自分の世界を表したいと思っていたら、そしてそれで食っていきたいと思っていたら、結婚するだろうか?

今の仕事はそれまでの繋ぎだと考えていたら?

私は男であるから、どうしても男目線の話になってしまうが、パートナーの生活も自分の仕事があってこそ成り立つものだとすれば、勝手な行動はできない。

自分の可能性を諦めろという事なのか。

こういうことをいうと、「仕事をしながらアーティスト活動も続ければいいじゃん」と能天気な事を聞いてもないのに言ってくる至極面倒な輩がいる。彼らはしっているのだろうか。一日というものがどういうものか。食事・睡眠・通勤通学・就業就学・排泄など絶対に欠かせないものに使用した時間がどれだけの割合を占めるか。ほぼほぼ一日はこれらの時間、またその準備の時間で潰される。

だからこそそれらを除いた本当の意味での「自分の時間」が大切なのだ。それらを自らの欲にかまけて浪費する人があまりに多く理解できないが、それはまた別に記事に述べる。

ともかく、一日は短い。お金も必要だ。

そういう人は結婚すべきではないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

自分のやりたい事を成し遂げてから結婚するという手もある。

しかし、今結婚を考えている相手がいたら、どうだろうか。

年齢と時間は待ってくれない。待たせていたらそれはそれでお互いにとってマイナスになる。

相手が好きだから結婚するのだ。相手とずっと一緒にいたいから結婚するのだ。

なればこそ、相手を不安にさせたくない。幸せにしたい。

多くの場合ずっと幸せな夫婦の方が少ないことなど知っているが、だから結婚しないというのはそれは違うと思う。

まあなんとも贅沢な甘い悩みをしているなとつくづく思うが、いつか今の自分を青いと笑える日が来るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

私が尊敬する幕末、明治初期の憂国の志士たちも愛する人がいる人が大勢いた。それでも自分の道を選び命を落とすとわかっている反乱を起こした。

彼らからみて私は大変贅沢な悩みを持っていると怒られそうだ。

好きという感情がいかに厄介か思い知らされている。

本ブログで多くの偉そうな意見を述べている私も人間なんだなと思わされる。

この記事は本ブログのテーマとは別の、単なるひとりごととして書いている。

あなたはならどうするだろうか。

結婚とはお互いの可能性を捨て去るものなのだろうか。

 

 

 

 

多くの人が結婚や離婚で悩みを抱えていることから、その答えはでないのかもしれない。

私がこの記事を見返して笑っている頃は、私は何をしているのだろう。

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