義務教育が教えてくれない愛国心と躾。ならぬことはならぬものです

・年長者の言ふことに背いてはなりませぬ

・年長者には御辞儀をしなければなりませぬ

・虚言を言ふ事はなりませぬ

・卑怯な振舞をしてはなりませぬ

・弱い者をいぢめてはなりませぬ

・戸外で物を食べてはなりませぬ

・戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです

 

江戸時代の会津藩にあった「什の掟」という教訓である。

「ならぬことはならぬものです」

これを教えている親がいかに少ないことか。

子どもの意志を尊重という風潮が広まっているが、それは違うのではないか。

ならぬことはならぬと教えることは必要である。それはこちらの記事で詳しくかいてあるので参考にしてもらいたい。

子どもの教育で一番大切なこと。親の価値観をおしつけるのは善か悪か

 

 

 

今回はこの「ならぬことはならぬ」という教育を受けた会津藩のひとびとの強さを紹介したい。

会津藩は戊辰戦争で後の新政府軍となる西軍に真っ向から立ち向かった。新政府軍の強さは武器にあった。西軍が使っていた銃は会津藩の使っていた銃の射程外から撃てた。装填の時間も3分の1ほどだ。とにかく射程の長さがものを言い、会津藩兵はバタバタと倒れていった。

これは会津戦争が始まる前から会津の人々は分かっていたことだ。しかし会津は降伏せず徹底抗戦を貫いた。それも総力戦といっていい体制だった。この美しき最後の武士道は会津教育の賜物だろう。

「ならぬことはならぬ」という教育にあわせて、会津藩には会津藩家訓という藩の憲法のようなものがありました。

「会津家訓15カ条」
一、大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。若し二心を懐かば、則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。
一、武備は怠るべからず。士を選ぶを本とすべし。 上下の分、乱るべからず。
一、兄を敬い、弟を愛すべし。
一、婦人女子の言、一切聞くべからず。
一、主を重んじ、法を畏るべし。
一、家中は風義を励むべし。
一、賄を行い、媚を求むべからず。
一、面々、依怙贔屓すべからず。
一、士を選ぶに便辟便侫の者を取るべからず。
一、賞罰は家老の外、これに参加すべからず。若し出位の者あらば、これを厳格にすべし。
一、近侍の者をして、人の善悪を告げしむべからず。
一、政事は利害を以って道理を枉ぐべからず。僉議は私意を挟みて人言を拒むべらず。思う所を蔵せず、以てこれを争そうべし。甚だ相争うと雖も我意を介すべからず。
一、法を犯す者は宥すべからず。
一、社倉は民のためにこれを置き、永く利せんとするものなり。 歳餓うれば則ち発出してこれを済うべし。これを他用すべからず。
一、若し志を失い、遊楽を好み、馳奢を致し、土民をしてその所を失わしめば、則ち何の面目あって封印を戴き、土地を領せんや。必ず上表して蟄居すべし。

  右十五件の旨 堅くこれを相守り以往もって同職の者に申し伝うべきものなり
  寛文八年戊申四月十一日 会津中将 
                   家老中

 

 

これは初代藩主保科正之がつくったもので、彼が重んじていた朱子学の要素が含まれる。

特筆すべきは一つめにある、「若し二心を懐かば、則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず」の一文である。この項では、幕府に忠義を尽くせ、そうしないものは会津藩士ではないと言い切っている。

その他儒学に準ずる親・兄弟への忠義なども教えてある。

今の学校教育でこのようなことを取り入れようものなら世間から大バッシングを受けるだろう。だからこそ、家で子どもにしっかり家族兄弟の大切さ、貴さを教えるべきだ。

われわれには年長者を敬うという気持ちが全くと言っていいほど植え付けられていない。われわれと会津藩のひとびとを比べると心の持ち方に天と地ほどの差があるだろう。

 

 

彼らが会津戦争で負けた後のことを知っている人は多くいないだろう。会津戦争の後、生き残りの人々は死者の埋葬を禁止され、死体は野放しにされた。さすがにこれではまずいだろうとなった際は、大きな穴をつくり死体をそこにまとめて放り込んだ。あくまで人間として扱うことを禁じたのだ。その作業は生き残りの会津藩兵にさせた。その後彼らは会津藩(福島県にあたる)を追い出され、斗南藩(青森県の下北半島)をつくった。そこは寒冷の地で、土地は痩せこけており、作物は育たず、飢餓と寒さを耐え忍ぶ生活を強いられた。新政府軍の質の低いイジメのようなものだ。会津の教育を植え付けられていなければ生きていけないような苦痛だが、彼らはひたむきに生きた。会津の復興を夢見て、生きた。

会津の教育は山川健次郎という秀才を生んだ。彼は斗南藩再興ののち、国費留学生に抜擢されイェール大学で物理学の学位を取得したのち、日本で東京帝国大学ほか二校の総長を歴任する。彼は戊辰戦争の時は白虎隊として西軍と戦った一人だった。彼を突き動かしたのは会津藩への忠誠心だった。それがのちに日本への愛国心へと変化したが、忠誠心そのものは変わらなかった。

私が思うに、会津の教育はこの忠誠心・愛国心を育てるものではないか。

その精神は人間を前へ前へ進む力を与えているのではないかと。

 

 

われわれは愛国心を高める教育は受けられない環境にいる。儒学に基づく忠誠心ももちろん育たない。

この二つは人間にとって習得するべきものである。学校で教えてくれないのならば、親が教えてやるべきだ。

今の日本に足りないものは愛国心だと、海外の人々に言われて久しい。今こそ考え直すべき時だろう。

 

 

会津の人々は日本史最後の武士道を貫いた人々である。

彼らの生き様から学ぶことは多い。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

文系で日本史専攻→システムエンジニア
世の中の役に立つシステムを開発・導入してます。
本ブログでは社会人に役立つライフハック術を発信しています。
あなたの生活にきっと役立つ情報です!
一緒により良い生活を送っていきましょう!

コメント

コメントする

目次