絶望から踏み出す一歩こそが命にふさわしい。

ガキの頃の自分は、今の自分を見てどう思うだろうか。

今の自分は、ガキの頃の自分に胸を張って幸せだと言えるだろうか。

人生とは、夢とは、幸せとはなんだろうか。

これは生き続ける限り決して埋まらない心の1ピースである。

ある人は言う。人生は夢だらけだと。

またある人言う。人生は地獄のなかの地獄であると。

 

人間は行動を約束することはできても、感情は約束できない。
自己欺瞞なしで永遠の愛を誓うものは、
愛情の見せかけを永遠に約束するものだ。

フリードリヒ・ニーチェ

 

 

感情という厄介なものさえなければ世界はこんなに生き辛くないだろうなと考える日々

「喜怒哀楽」

人間の感情を表す四文字だが、ここに辛という言葉も入れるべきだろう。

生きていると辛いことばかりだ。

「喜怒哀楽辛」

これが人間が持つ感情であろう。

 

 

世界を滅ぼすに値する その温もりは

二人になれなかった 孤独と孤独では

道すがら何があった?傷ついて笑うその癖は

そんなに悲しむことなんて無かったのにな

心さえなかったなら

命にふさわしい/amazarashi

 

 

傷ついて笑う癖とは、まさに日本人に送るべき言葉であろう。

この経験は誰しもしたことがあるのではないかと思う。

心さえなかったなら悲しむこともなかったと嘆く

人間に感情がある限り、われわれは嘆き続けるのか。

 

 

 

世界を欺くに値する 僕らのこれまでは

一人になれなかった 寂しがりや共が集って

道すがら何があった? 傷つけて当然な顔して

そんなに悲しむことなんて無かったのにな 心さえなかったなら

同上

 

傷つけられた私たちは、誰かを傷つける加害者でもある。被害者と加害者は表裏一体だ。われわれはどちらの面も持っている。

加害者になるときはいつもそうだ。「傷つけて当然な顔して」

はっと思い返すことがあるだろう。

人を傷つけるのはとても簡単だ。人は簡単に傷つくから。

だからこそ、傷つける側になると当然な顔をするものだ。

やられた方が悪いという理不尽な屁理屈がまかり通る世の中だ、非常に生き辛いものだ。

 

 

 

愛した物を守りたい故に 壊してしまった数々

あっけなく打ち砕かれた 願いの数々

その破片を裸足で渡るような 次の一歩で滑落して

そこでも死んでもいいと 思える一歩こそ

ただ、ただ、それこそが 命にふさわしい

同上

 

 

愛した物を守りたいと思い傷つけ、こうなりたいと願った夢は簡単に打ち砕かれ傷つく

それを繰り返すかのような毎日だが、その絶望した一歩こそが命と呼ぶにふさわしいのかもしれない。

それが人間が生きるというものなのかもしれない。

 

 

 

なんの望みもないような話だが、

ズタボロにされ、絶望に打ちひしがれながらも踏み出す一歩に価値がある。

それがまた絶望につながる一歩だとしても、また次の一歩はもっと価値がある。

「喜怒哀楽辛」

に打ちひしがられているうちは、我々はまだ死ねない。

そこで死んでもいいと思える一歩をまた踏み出そう。それこそが命にふさわしい。

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