ガキの頃の自分は、今の自分を見てどう思うだろうか。
今の自分は、ガキの頃の自分に胸を張って幸せだと言えるだろうか。
人生とは、夢とは、幸せとはなんだろうか。
これは生き続ける限り決して埋まらない心の1ピースである。
ある人は言う。人生は夢だらけだと。
またある人言う。人生は地獄のなかの地獄であると。
結婚とは不思議なものである。
赤の他人同士が人生の伴侶として共に生きていく。
これこそが人間の人生の目的だと言う人もいる。
結婚よりも不思議に思えるのが結婚式という儀式だ。新郎家と新婦家、またその親族らが出席して新郎・新婦の新たな門出を祝う。
誓いの言葉や両親への感謝のスピーチなど、人間の成長のすばらしさや親の偉大さが改めに身に染みる時間が流れる。
いまでは事実婚といって式を挙げずに籍だけいれるカップルも増えてきている。極めて合理的な決断だと私は評価している。結婚式一つ挙げるにしても費用はばかにならない。何百万という費用がかかる大仕事になる。
特に若いカップルにとっては痛い出費になることは間違いない。
いま、もしくは将来結婚式を挙げようか迷っている人は、結婚式を挙げるメリットはなんだろうと考えてみる必要がある。
そもそも結婚とは本来、家と家との結びつきであった。それはいまも変わらないが、感覚は変化してきている。
人生の伴侶を得ることという認識を多くの人がするようになっているが、本来は家と家との結びつきのことである。
その両家が見守る中で結婚を誓うことに意味があるのだ。赤の他人同士が結婚することで、赤の他人同士の家と家が親戚関係になる。大変不思議なことである。そして大変めでたいことである。
昔は家意識がたいへん強かった。自分は〇〇という一族であり、この家の一員である。
家を繁栄させ、後世まで残していけなければならないという思いが強かった。それは身分に関係なく、一般民衆さえも強い家意識が根付いていた。
こうした社会背景があったからこそ、結婚という家と家の結びつきは人々の関心事であった。だから、相手の家に反対されて結婚が破棄されたということが頻繁に起こった。家を繁栄させることが第一であったため、よくわからない家との縁組は好まれなかった。
しかし現代は家意識というものはだいぶ薄れてきた。結婚についての考え方も昔とは大きく異なる。
家と家の結びつきというよりは、カップルのおめでたいイベントの一つという認識になっていると感じる。これを何も悪い事といっているわけではない。私自身もそういう認識をしているところがある。
こういった結婚に対する認識の変化が、事実婚という形態を生み出したといえる。
しかし、いくら現代人が家意識が薄れたとは言っても、結婚式に出席すれば、誰しも家と家の結びつきを意識する。なにせ、新郎・新婦の両親が準主役といっていいくらいに目立つからである。
新郎新婦のとなりに立つ両家ご両親の姿をみると、この家とこの家が結ばれるという事実が視覚的にわかりやすい。
そういう面では、結婚式はする価値があると言いたい。
お互いの家同士の結びつきを強くしたい、認識したい、という思いがあるカップルであれば結婚式はするべきだ。しなかった夫婦よりも家同士の結びつきは非常に強いものとなる。
それは家の繁栄につながる大切な要素の一つでもある。
気持ちの面でもメリットがある。
結婚式で親へ今までの感謝を述べることによって、完全に親から自立した存在と自覚できる。親も自分の子はもう立派な大人に育ったと安心する。
成人式や就職などとは雲泥の差でお互いの認識が変わる行事である。
今度は自分が親になると番だ、という心の入れ替えができるのも大きなメリットだ。
事実婚をするカップルが多いが、結婚式をするという選択は決して間違っていない。
ロマンチックだから、夢だったから、というのも一つの魅力だと思うが、結婚式には家と家の結びつきという今後とても大切な要素を持ち合わせている。
自分の人生の区切りとして、パートナーとの人生の節目として、両家を結ぶ行事として、結婚式は行う価値があるものだと結論づけたい。
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