ガキの頃の自分は、今の自分を見てどう思うだろうか。
今の自分は、ガキの頃の自分に胸を張って幸せだと言えるだろうか。
人生とは、夢とは、幸せとはなんだろうか。
これは生き続ける限り決して埋まらない心の1ピースである。
ある人は言う。人生は夢だらけだと。
またある人言う。人生は地獄のなかの地獄であると。
政治と経済は貸借をとりながらバランスする
~経済を握ったものたちは国を動かす政治力を必然的に持つことになる~
政治とは経済を握ったものたちの思想で動いている。
経済を握っているたった一人の人間の発言で市場の価格は大変動する。それに合わせて我々民衆の生活も左右される。
それが何の間違いもない資本主義経済で我々は生きている。
「貧富の差はあるけれど、みんな自由なビジネスをしよう」がモットーの経済であるから当然である。
自分で稼いでいける人間は必然的に発言力が強まっていく。そしてそれが作用してさらに稼げるビジネスに繋がりどんどん裕福になっていく。
逆に自分で価値を創造できなければ労働を対価としてお金を稼ぐ道に進む。こちらはそもそもビジネスではなく社会の歯車として生きることである。
なにも経営者になれという話をしたいわけではない。
ただ、世界の常識はそういうものなのだと知っておいてもらいたいだけだ。
就職してからこんなはずじゃなかったと思ったり、いま働いている会社で生き続けていいものかと不安になったりする人は数多くいる。それは、就職するという意味をしっかり理解していないからだと思われてならない。
就職するということはその企業の一部として経済をまわす役目を担うことになるが、そこに自分の発言権はない。なぜならビジネスをしているわけではないからだ。
仕事の不満を言っている人はあたかも自分が経営者のような錯覚に陥っていることが多いが、自分は企業の一部なんだと自覚することが大切である。
世界の経済を見渡せば、どこの資本主義経済の国も従業員が経済を回している例は見たことがない。しいて言えばその人が会社員兼タレントといった例外はある。
会社員ならば、身の丈にあった夢、生活をもつことが一番大切である。でないと、愚痴やら悪態を晒すみじめな高齢者になりかねない。
身の丈を知るとはとても大切なことだ。
自分の能力、地位、立場をわきまえていることが一番大切なのだ。
経済についてどれだけ知っているか。世界についてどれだけ知っているか。社会問題についてどれだけ知っているか。歴史についてどれだけ知っているか。
それらを人に説明できるほど知識がないのではないだろうか?
それらの知識がある人はおそらく会社にはおらずひとりで何か行動していると思う。そういう社会だからだ。
知識は行動を生み、行動は富を生む。
行動力という言葉があるが、知識が伴わない行動ほど愚かなものはないと感じる。知識あってこその行動力である。
現状を変えたくて行動しようと考えている人は、まず知識をつけてからにした方がいいだろう。
知識は人を動かす。
幕末に活躍した人々はみな蘭学やら陽明学やら朱子学やらの思想に動かされた。彼らの背後には思想家たちがいた。思想家の知識とはとんでもないものである。(そうではない場合もあるが)
彼らの知識と思想に心酔した者たちはすさまじいエネルギーで動き始める。
これは今の企業にも通ずる話であり、経営者の事業、思想などに共感した人々が共に働き企業は大きくなっていく。知識は人を集め、人を動かすのだ。
知識をつけるには本を読むのが手っ取り早いが、面白いデータがある。
1 カ月間に読む本の平均冊数と、世帯年収の関係をみたところ、1 カ月に最低 3 冊以上本を読むのは、世帯年収が「1500 万以上」の人が最も多く 40.5%、最も少ないのは「300~500 万未満」の人で 22.6%という結果となりました。
引用:財団法人 出版文化産業振興財団
本を読む習慣が年収に影響している。
知識の伴った行動力が評価された結果だと推測できる。
世の中を知り身の丈を知る。
人生と向き合う上で必要な知識は身につけておくと、様々な副産物が得られることをここに記す。
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