ガキの頃の自分は、今の自分を見てどう思うだろうか。
今の自分は、ガキの頃の自分に胸を張って幸せだと言えるだろうか。
人生とは、夢とは、幸せとはなんだろうか。
これは生き続ける限り決して埋まらない心の1ピースである。
ある人は言う。人生は夢だらけだと。
またある人言う。人生は地獄のなかの地獄であると。
「勝てば官軍負ければ賊軍」
今はまさにそんな時代である。いや、今もまだ、といったほうがいいかもしれない。
勝者の歴史のみが正義であり、敗者は正義に対抗した悪だというレッテルがはられる。
官軍になる過程がどんなに非人道的であっても問題ない。勝ったものが正義なのだ。
明治維新をみなさんご存知か。
薩長の「官軍」が幕府の「賊軍」を倒し、明治新政府を樹立した。
薩長は今の日本の、歴史教育の教科書でも英雄扱いだ。
しかし、薩長、とくに長州藩の実態は尊敬できるものではなかった。
いまでいうテロリストたちの巣窟といってよい場所だった。
「暗殺」「尊王攘夷」「天誅」という言葉が大好きな超過激派集団であった。
今の日本に彼らのような思想をもった人たちがいたら、逮捕はもちろん、ニュースでも毎日報道され、ネットで騒ぎになること必至だ。
長州の人たちは日本の歴史上で唯一、天皇の住居に向かって砲撃した人である。
実質天皇よりも力を持っていた信長でさえ、天皇に手をかけるということは考えもしなかったことだ。
わかりやすく言えば、明日威勢のいい兄ちゃんたちが皇居に向かって発砲すると同じくらいやばいことだ。
死刑どころでは済まない大犯罪を犯したにも関わらず、結果官軍となったため誉れ高い藩として歴史に名を刻んだ。
同じようなことは毎日世界中のどこかで起こっている。
世の中は平等ではないため、力のある人の不合理がまかり通るのだ。
それさえも、外からみたら不合理な部分はみえないわけであるから、その不合理な人はまるでカリスマのように見えてしまう。
そうなると、もう誰にも止められなくなる。それが正義となる。
逆を言えば、不合理な大きな力に負け、正しいことをしているにも関わらず「賊軍」、つまり負け組のレッテルを貼られている人たちもいる。
いくら人道的で合理的な主張をしていようが、外から見たらただの敗北者にしか見えない。
テレビやネットで見るような著名人や社長、実業家の人たちは正義の「官軍」
裏で行っている不合理さや取引は一切公に出ず、我々からみたらカリスマである。
対して、駅のホームから飛び込み自殺をする人、競争レースに負けた平社員、リストラされた人などは敗者の「賊軍」
どんな人生だったのか、どんな考え方の人なのかなどは誰からも気にされず、ただ哀れな目で見られるだけである。
世の中不平等だと嘆いても、それは変わらないことだ。
何千年も前から続く「歴史」を調べてみると分かることだが、世の中は常に不平等である。
勝者の歴史のみが残り、敗者は大悪人とされるか、もとから居なかったとされるだけだ。
この世の中を生きていくヒントは、歴史の中にある。
歴史の中には、勝者と敗者がどの時代にもいる。
両人の考え方、行動、人生を追ってみよう。そして、その後歴史がどうなったのかも追ってみよう。
不平等な世の中で生きていくヒントはそこにある。
「お前は今死ねるか」
今の人はもちろん、昔の人でさえ「はい」と答えることは難しかったと思う。
しかし、今の人ほど簡単に人生に絶望して自殺したりしなかった。
人生について、もっと学ぶことがあるのではないだろうか。
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