息の詰まった生きにくい世の中へかける魔法の言葉。色即是空

ガキの頃の自分は、今の自分を見てどう思うだろうか。

今の自分は、ガキの頃の自分に胸を張って幸せだと言えるだろうか。

人生とは、夢とは、幸せとはなんだろうか。

これは生き続ける限り決して埋まらない心の1ピースである。

ある人は言う。人生は夢だらけだと。

またある人言う。人生は地獄のなかの地獄であると。

同じことの繰り返しのように思える日常も、考えかた一つで違った世界のように思える。

人間は驚くほど単純な生き物だ。

日常の重苦しさに押しつぶされそうな時は、考え方を変えてみるのはいい方法だ。

 

特に、日本人は無宗教の人の割合が高い特殊な国だ。

宗教的な死生観をもっていないため、生きることについて考え始めるとそのまま迷宮入りしてしまう。

ひとつだけ、仏教の考え方を紹介する。

 

 

 

この世の形あるものはみな、形ないものでる。

この世の形ないものはみな、形あるものである。

 

 

だいぶ簡単に説明すると、人間の生み出した概念にとらわれないで物事をみようというもの。

本は、それ単体で存在しているわけではなく、紙や文字、冊子からできて初めて本という形あるものになる。

その本を構成している紙や文字も、それ単体で存在しているわけではなく、それを構成する物質がある。

分解していってたどり着く先は無である。

つまり、無は有をつくり、有は無をつくるということ。

 

それはこの世の物すべてにいえることで、我々の人体だってそれ単体で存在しているわけではないし、宇宙だって、地球だってそうだ。

今、目に見えて存在しているものは目に見えないものからできている。

 

この考え方は般若心教にでてくる

色即是空・空即是色

という言葉の解釈である。

 

 

この話を引用して何が言いたいかというと

目に見えているものに惑わされるな

人間が作り出した概念に惑わされるな

ということ。

 

人間を苦しめるものはたくさんあるが、それが人間の作り出したものであってはならない。

そんな概念にとらわれている人に従ってはならない。

本質を見抜くとはそういうことを指すと私は思う。

 

 

平家物語の冒頭の一節は美しく世界の真理を謳っている。

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響あり。

沙羅双樹の花の色

盛者必衰のことはりをあらはす。

おごれる人も久しからず。

唯春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ

偏に風の前の塵に同じ。

 

 

この世で同じであり続けるものなんて存在しない。

色即是空と諸行無常はそういう意味では似通っている。

 

 

気張って生きていく必要なんて0だ。

100年後この世に今と同じ常識なんてない。

また新たな概念が生み出され、人はそれにとらわれているだろう。

色即是空。

そういう世界で生きていると思えば、肩の荷が下りる。

清々しい心で毎日を生きていける。

 

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