ガキの頃の自分は、今の自分を見てどう思うだろうか。
今の自分は、ガキの頃の自分に胸を張って幸せだと言えるだろうか。
人生とは、夢とは、幸せとはなんだろうか。
これは生き続ける限り決して埋まらない心の1ピースである。
ある人は言う。人生は夢だらけだと。
またある人言う。人生は地獄のなかの地獄であると。
「親父がよく言っていた 悪人も天国に行けるぜ
だって神様も悪人 だってことはガキだって知ってるぜ
泣いても喚いても祈っても こんな世界に生まれ落ちたのが証拠
人生そんなもんなのかもね 諦めは早けりゃ早いほうがいい
僕は僕をあきらめたぜ 生まれてすぐさまあきらめたぜ」
amazarashiさんの「穴を掘っている」という歌の一節。
この世は皆、悪人だが皆が天国に行くのだそうだ。
そりゃそうだ。人間みなたどり着く先は同じなのだから、生まれた瞬間に決まっていたことだ。いまさら驚きもしない。しかし日常というやつをおくっていると忘れてしまいがちである。
そして世の中はみな悪人である。性悪説を唱えているわけではない。これは何十年も人間をやっていれば皆気づいていることだ。そしてその本人も悪人だ。
この事実も貧富の差の象徴である資本主義社会の中で生活していると見えづらくなっている。凄そうに見える人もどうしようもない奴も本質は変わらないし行き着く場所も同じだ。
なにを毎日がんばっている。なぜ今、苦しいのか。なぜこんなにの生き苦しいのか。
そう思い、仕事なり人生なり学校なりを辞めたいと脳裏にちらつく。
別にやめようが続けようが死のうが生きようがあなたの人生の結末は一緒だ。
そうなればamazarashiの言う通り「諦めは早けりゃ早いほうがいい」
諦めとは人間だけに許された心の自己破産だ。
ガキの頃思い描いていたキラキラした大人の生活はどうだ。キラキラしているか
あんな夢を描いていたガキの頃の自分にこれ以上醜態を晒していいのか。今の自分にこれ以上嘘をつくのか。
こんな世界に生み落とされた僕ら。
なにをすればこんな世界を楽しく生きれるのだろうか。
戦国時代は明日死ぬつもりで生きるのが日常だった。世界大戦の時もそうだ。
縄文時代は明日生きるために動物を狩っていた。弥生時代は明日いきるために稲をつくった。
現代は幸せな家庭もしくは夢を叶えるために仕事をしている。
良い時代になったのか悪い時代になったのか意見を言うつもりはない。ただこれは事実だ。
今我々が生きているのは、こんな世界だ。
好きな事で生きていく。
そんなキャッチフレーズがある。
それがいかに難しいか。ガキの頃は分からなかったが今は分かる。
「やりたいことをやればいいじゃん」
これは悪魔の言葉だ。世界一無責任な言葉だ。
しかし現代を端的に表した理にかなった言葉だ。誰も反論できない。
まず好きな事ってなんだ?やりたいことってなんだ?
これらの事を考え始めると出口のない迷宮にはいったまま出てこれなくなる。
そんなときは諦めればいい。
「僕は僕を諦めたぜ」
諦めとは人間だけに許された心の自己破産だ。
心を自己破産し、一からやり始める。
仕事でも学校でも夢でも人生でもなんでも。出口のない迷宮に閉じ込められてしまったのなら諦めてしまえ。
「人間らしい」なんて都合のいい言葉は使わないが、悪人なりにもう一度がんばろうという気持ちになれるものだ。
「続ければいい事があるって」
「途中でやめる奴はどこへ行っても同じだ」
悪魔の言葉だ。自分と同じ悪人の言葉だ。
彼らは言うだろう。
諦めるなんて「人間らしい」ね
同じくこんな世界に生まれ落ちた同志の言葉として受け取ってやろう。
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