生きる意味って何だろう?詳しく解説するからおいで【哲学・生物学】

何気なく生きていると忘れてしまいがちだが、ふとした時になぜ生きているのか分からなくなる時がある。人間関係に疲れた時、仕事で嫌な事があったとき、節目の年齢に達した時・・・

自分が何のために生まれてきたのか?

この人間において最大の問いに答えはあるのだろうか。

 

 

 

第一章 幸福

人間は幸福を得るために生きている。

一般的にこう言われることが多い。人間は幸福な時間を過ごしている時が一番良い状態だからという理由だ。

イギリスの哲学者で功利主義の創始者であるベンサムは「最大多数の最大幸福」こそが最善だと主張した。簡単に言えば、多くの人間が幸福だと感じる事は何であれ良い事である、という考え方だ。

ではもし、人間が永遠に幸福感を感じられる装置が開発されたら、何が起こるのだろう?人間が幸福や快楽や不快感を感じるのは全て脳の電気信号による命令だと判明している。つまり、幸福を感じる電気信号を人工的に発生させることができれば、人間は幸福を好きな時に享受できるようになる。

250万年前はただのサルだった人類はこの100年で急速に真理を知り始めた。生物を形作るDNAの二重らせん構造の解読をこなし、遺伝子操作で新たな生物の創造まで可能になっている。幸福の電気信号を創造することも夢の話ではない。事実、今もその実験は進行中である。

では、人間が永遠に幸福を享受できるようになった日には何が起こるのか?最大多数の最大幸福が今よりも達成され、人類は生きている意味に到達できるのか?

 

幸福という概念はそもそも多くの感情をもっている。

人間の三大欲求である食欲・性欲・睡眠欲が満たされた時は人間は幸福を感じるだろうが、幸福を感じるのはその時だけではない。好きな人といる時、誰かに認められた時、役に立った時、好きな事をしている時・・・最終的には金と権力とセックスだ。

これらそれぞれの幸福の感じ方は少し違う。いや、もしかしたらそう感じるのは私だけかもしれないから言い直すと、それぞれの幸福の感じ方は私にとって違うもののように感じる。例えば好きな人と過ごしている幸福感と食欲が満たされた幸福感は違う幸福に感じる。

ここで一つの疑問が生まれる。それぞれの幸福を命令する電気信号は同じ電気信号なのか、違う電気信号なのか、だ。

違う電気信号だとすれば、あらゆるシチュエーションによる幸福を体感できる装置を開発しなければならないため開発は困難を極めるだろう。ただ永遠の幸福の中に生きることは実現不可能となる。

しかし、もし同じ電気信号だったとしたらどうか。開発は簡単であり、脳の電気信号を詳しく調べれば完成できてしまう。人間は永遠の幸福を生きられるようになり、人類は「なぜ生きているのか」の問いから解き放たれる。

 

 

2章 労働と階級

私たちはなぜ働かなくてはいけないのか?

現実的な答えは出ている。働いてお金を稼がないと食べていけないからだ。しかし哲学的な答えは発見されていない。250万年前の私たちの先祖はスーツを着て会社に行くことはなかったし、休みの前日に酒に溺れることもなかった。7万年前に狩猟をしていた先祖たちと私たちのDNAは大した変化はない。しかし今や私たちは狩猟を放棄し安全な室内で仕事をするようになった。私たちは幸せになったのだろうか?

日本で生きていこうと思えば別に働く必要はない。生活保護を受給すれば食べていける。なのになぜ働くのか?働くことで幸せを感じることができるのならば理由はわかる。しかし、幸せそうに働いている人間など私は見たことない。会ったことはないが、スティーブジョブズ級の人間だけだろう。ではなぜ働くのか?

 

人間社会は階級社会だ。

ウォールストリートの企業の社長やロスチャイルド家、米トップアスリートらと日本中堅企業の社員とでは財力に雲泥の差がある。一生かかっても追いつけない彼らの生活は確かにリッチそのものだ。できるなら、せまいアパートで安物の服を着るよりもタワーマンションで行きつけのレストランに通う生活がしたいと思う。しかし、彼らは私たちよりも果たして幸福なのだろうか?

もっと細かくみれば、権力を持ちいい給料をもらっている上司は私よりも幸福なのだろうか?権力も給料も低い部下は私よりも幸福ではないと言い切れるだろうか?ニートよりも仕事をしている私の方が幸せなのだろうか?

もし人間が幸福のために生きているとすれば、この社会を取り巻いている労働と階級という二つの悪魔は意味を失う。働かず家でYouTubeに趣味動画を上げて生活している人の方が、毎日働いている人や大企業社長よりも悩みなく幸せに暮らしている可能性があるからだ。

労働も階級も幸福に影響を与えないと分かったならばなぜ人間は働くのか?上の立場になりたがるのか?

答えは謎のまま1万2000年前に農耕が始まってから今まで、人間は階級社会の中で労働に従事してきた。

 

 

第三章 絶対的存在ではない人類

生まれた意味を考えたり、自分の使命を考えたりするのは何故だろう?

もしかしたら誰一人としてそんな理由を持っていないかもしれない。

こうした生まれた意味を考えがちなのは人間の中に、人間は絶対的存在であるという意識があるからだ。どう絶対的かというと、地球上の生物で絶対的という思い込みだ。

地球上には人間の他に数えきれない種の生物が存在している。しかし私たちはアリには生まれた意味があると考えるだろうか?ブタやハチには?私たちサピエンスと彼らとは違う種であるが同じ生物にすぎない。なのになぜ人間には生まれた意味や使命があり、アリにはないのか?もしかしたら人間には生まれた意味はないがアリにはあるかもしれない。しかし人間はそんなこと考えない。

地球上の一つの生物に過ぎない私たちは何かと他の種よりも優れていると思い込みがちだ。たしかに、地球上でもっとも繁栄したのは人類だ。しかし、私たちと他種との違いはDNAということになる。なぜ人間は絶対的であると錯覚したのだろうか?

人間は食用のため年間何億頭もの豚、牛、鶏を殺している。彼らの生きている時の生活はあまりにも悲惨なものだ。身動き一つとれない狭い豚小屋の中で殺されるのを待つだけの命だ。彼ら家畜と私たちは同じ一つの命だと人間は認めたがらない。私たちは地球上でもっとも優れた存在である、絶対的な存在である。そういった錯覚に陥っていなければ、人間のみに生きる意味があると考えるのはおかしい。

まだマンモスを狩り恐竜に怯えていた頃の私たちは生きる意味がわからないと悩んだりしただろうか。毎日食いつなぐのに必死でそんな余裕はなかっただろう。生きる意味を考えるのは人間は地球上で絶対的な存在であるという慢心にすぎないのかもしれない。

 

 

終章 生まれ、そして死ぬ

最後に私の意見になるが、私が生まれた理由は親が望んだからだ。すべては親の一存により私は生まれた。そしてあなたもそうだ。もし、私が自分の意志でこの世に生を受けたのなら、生きる意味を持っているかもしれない。しかし、私は親の意志で生を受けたにすぎない。

これは地球上の生物全てにいえることだ。自分の意志で生まれてくる生物は存在しない。遺伝子を残したいという本能により私たちは生を与えてもらったにすぎない。

生まれ、子孫を残し、死ぬ。

生物のサイクルはそれだ。花をみてどうして花は生きているんだろうと思ったことがあるだろうか。花を咲かせ、種子をまいて枯れていく一生だ。なにも面白いことは起きない。ただ遺伝子に定められたサイクルに従って死んでいく。

私たちも同じだ。親の遺伝子を受け継ぎ生まれ、同じように遺伝子を残して死んでいく。人間の仕事はそれだけだ。それだけなのに生きる意味などを考えるから鬱になったり考え込んだりしてしまう。深く考える必要はない、人間も他の生物と同じサイクルを繰り返すだけの存在なのだから、それに従っていれば良い。実に気楽ではないか。

「よし、遺伝子を残したし、やり残したことはないかな」

悩みなんてない人生ではないか。少なくとも、私たちの先祖は生きる意味を考えていない頃があった。なぜ急に生きる意味が生じ、必要になるのか。私にはわからないし不要なものだと感じる。

だが今の人間は以前よりも出来ることがかなり増えたし刺激を感じたり幸福を感じたりできる機会は確実に多いのだから、今感じられる幸福を求めて生きていれば充実したと言っていい。

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