名言「言志四録」~リーダーとは何か~ 言志耋録その1

名言

リーダーのための聖書(バイブル)『言志四録』より格言を厳選して紹介する。

『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録』から構成される『言志四録』は、著者・佐藤一斎の書いた年代によって分けられている。

今回は一斎が最晩年に書いた『言志耋録』より抜粋する。

あなたの心に残る言葉がみつかれば幸いである。

 

 

 

 

無能の知は、是れ冥想にして、無知の能は是れ妄動なり。学者宜く仮景を認めて、以て真景と做すこと勿るべし。(第11条)

訳:

実行することがなく、ただ知っているだけなら空想である。知恵なくして行うのは妄動である。学問をする者は心眼を開き、偽物の姿を見て、これを本当のものと思ってはいけない。

 

 

 

凡そ学を為すの初は、必ず大人たらんと欲するの志を立てて、然る後に、書は読む可きなり。然らずして、徒らに見聞を貪るのみならば、則ち或は恐る、傲を長じ非を飾らんことを。謂わゆる「寇に兵を仮し、盗に糧を資するなり」。憂う可し。(第14条)

訳:

学問を始めるには、必ず立派な人物になろうとの志を立て、それから書物を読むべきである。そうではなくして、ただいたずらに知識を広げるための学問は、傲慢な人間になったり、悪事をごまかすようになったりしまいかと心配する。これこそ「敵に武器を貸し、盗人に食物を与える」ようなもので、憂うべきことである。

 

 

 

 

 

源有るの活水は、浮萍も自ら潔く、源無きの濁沼は、蓴菜も亦汚る。(第16条)

訳:

水源のある生き生きとして水は、浮草も清らかである。反対に、水源のない濁った沼では蓴菜までも汚らしい。

 

 

 

 

 

学に志すの士は、当に自ら己を頼むべし。人の熱に因ること勿れ。淮南子に曰わく、「火を乞うは、燧を取るに若かず。汲を寄するは、井を穿つに若かず。」と。己れを頼むを謂うなり。(第17条)

訳:

学問を志し、立派な人間になろうとする者は、頼みとするものは自分一人であることを覚悟しなければならない。仮にも他人の力を借りたり、頼ってはならない。『淮南子』に「人に火を求めるよりは、自分で火打石で火をおこすほうが良い。また、他人の汲み上げた水を頼りにするよりも、自分で井戸を掘ったほうがよい。」とある。これは他人を頼ることなく自分に頼れと教えたのである。

 

 

 

 

 

此の学は己れの為にす。固より宜しく自得を尚ぶべし。駁雑を以て粧飾と做すこと勿れ。近時の学、殆ど謂わゆる他人の為に嫁衣装を做すのみ。(第19条)

訳:

立派な人になろうとする学問は、自分の徳を磨くためにするのであるから、道を体得することを尊ぶべきである。雑多な学問をして、外面を飾り立てることはしてはいけない。ところが、最近の学問をする者は、その精神を忘れ、他人に自慢するための、まるで嫁入り衣装をつくるようなことをしている。

 

 

 

 

 

立志の工夫は、須らく羞悪念頭より、跟脚を起すべし。恥ず可からざるを恥ずること勿れ。恥ず可きを恥じざること勿れ。孟子謂う、「恥無きを之れ恥ずれば、恥無し」と。志是に於てか立つ。(第23条)

訳:

どのような志を立てるかを考えるには、自分のよくないところを恥じ、他人のよくないところを憎むという気持ちから出発すべきである。恥じなくてもいいことを恥じることはないが、恥ずべきことは恥じなければならない。孟子は、「自分が恥ずべきことを恥じないでいる、それを恥とすれば恥はなくなる」といった。これがわかれば、志は必ず立つものである。

 

 

 

 

 

私欲の制し難きは、志の立たざるに由る。志立てば真に是れ紅炉に雪を点ずるなり。故に立志は徹上徹下の工夫たり。(第24条)

訳:

自分の欲望を抑えきれないのは、志が固まっていないからだ。志が固まっていれば、欲望は赤々と燃える炉の上に置かれた一片の雪のようにすぐに消えてしまう。だから、志を立てるということは、上の道理の解明から下は日常の些事まで、徹底するように工夫すべきだ。

 

 

 

 

 

 

均しく是れ人なり。遊惰なれば則ち弱なり。一旦困苦すれば則ち強と為る。愜意愜なれば則ち柔なり。一旦激発すれば則ち剛となる。気質の変化す可きこと此くの如し。(第29条)

訳:

誰もが人間である、と思っているが、同じ人間でも遊び怠けていると柔弱になるし、一度困苦に耐えると意志が強固になる。心が満足していると優柔になり、一度激しく発憤すると剛強になる。人の気質はこのように変化する。

 

 

 

 

 

困心衡慮は智慧を発揮し、暖飽安逸は思慮を埋没す。猶お之れ苦種は薬を成し、甘品は毒を成すがごとし。(第31条)

訳:

心を悩まし、苦しんで考え、初めて知恵は現れるものである。反対に、暖かい着物を着て、のんびり生活しているときは、考える力も埋もれてしまっている。これはちょうど、苦いものは薬となり、甘いものは毒となるようなものである。

 

 

 

 

 

 

得意の物件は懼る可くして、喜ぶ可からず。失意の物件は、慎む可くして、驚く可からず。(第32条)

訳:

自分で得意と思っていることは、じつは恐ろしいことであって、決して喜ぶことではない。逆に、物事が思うようにはかどらない失意のときは、慎まねばならないが、決して驚くことではない。鍛錬するよいチャンスである。

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