「品性のある人」「品性がない人」の違い。品性とは

あらゆる長所も品性あってこそ。

外見の美しい人と品性を持っている人はまるで雰囲気が違う。

そして、外見は生まれ持ったものだが、品性は身についていくものである。

では、品性をもった人間とはどういう人間だろうか。

 

 

 

 

 

 

「品がない人」と言われるのはこの上なく傷つく言葉だろう。顔が醜いと言われるよりも心が醜いといわれる方が傷つくのと同じだ。

これは、外見は生まれ持ったものでどうしようもないが、品についてはその人の人生経験の表れであるからだろう。よって「品がない人」と言われることは自分のこれまでの人生そのものが否定されたと感じる。

では、どういう人が「品がある」と思われるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

大辞林によると品性とは

① 人柄。品位。 
② 道徳的価値としての性格。

 

としている。

②の「道徳的価値としての性格」がこの品性という言葉をうまく表しているように思う。

「品のある人」とはすなわち「道徳を兼ねそなえた人」となるのではないか。

物腰がやわらかく、あらゆる人の意見に耳を傾け、強く主張せず、協調性を大事にする。そうした人が「品のある人」として職場やあらゆるコミュニティで尊敬される人物となる。

今の時代、自分の意見を主張し実行することが良しとされると勘違いしている人が多いが、実のところそれはまったくの逆である。優秀な人材が集まる企業、例えば日本のエリート集団である総合商社の社員をみてみると、たしかに自分の考えで行動することをモットーとしているが、物腰の柔らかさと人の意見を聞く態度が精錬されている。彼らは協調性を兼ね備えたうえで自分で考えて行動しているに過ぎない。

逆をいえば、こうした「道徳的」なことができない人物は「品がない」と言われるだろう。とにかく自己主張をし、それを曲げず、人の意見を聞き流したりする。

普通に考えればそれが「品がない」行為だと誰でも分かることだが、自分の気づかないうちに「品がない」行為をしている人が後を絶たない。

 

 

 

 

 

 

品性があるなぁ。と思う人は、たとえ容貌が優れていなくとも魅力的に映るものである。

学生のころはとにかく容貌が優れている人が魅力的に感じられるが、大人になるにつれて人間は品性のある人に魅力を感じるようになる。

品のある人の動作は一つ一つが優雅で心落ち着くものである。

 

「顔がいい」「性格がいい」「スタイルがいい」「頭がいい」など世の中には数々の誉め言葉があるが、「品性」はそれら全てを包括する最高の価値のある誉め言葉だ。

 

 

 

品性を「道徳的価値のある性格」と表したが、品性を持つには二つの要素が必要だと思う。

それは「知性」と「感性」である。

知性ある人は発言一つ一つが重みがあって魅力的に映る。

感性のある人はリアクション一つ一つに喜怒哀楽が表れていて親しみやすい。

これらを持ち合わせた人こそが「品のある人」と呼ばれるにふさわしい。

 

 

 

 

 

人は、容貌や風采のすぐれているのが、望ましいに違いない。ちょっとものをいっても、聞きづらくなく、優しく穏やかで、言葉数が多くない人には、いつまでも向かい合っていたいものである。りっぱだと思ってみていた人の、予想外に下劣と思われる本性が見えたりするのは、残念に思われるに違いない。門閥や容貌は生まれついたものであるけれど、心はどうして賢いうえにも賢いほうへ、向上させようと思うならできないことがあろうか。顔立ちや気立てのよい人でも、学識がないということになってしまうと、品位の劣る顔つきの騒々しい人たちのなかに入って、ひとたまりもなく圧倒されてしまうのは、心外なことである。(徒然草第一段)

 

 

品性のある人。

そう思われる人でありたいものだ。

 

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